本書は最初自分の考では、只単に宗教と性欲といふ風の題で出す様りであつたが、いつとなく出版者の手に出つて、現代宗教と性欲として予告せられたのである。そこで小理窟を言ふ者は、或はそれは原始宗教と性欲とならば聞えもしやうが、現代宗教では如何であらうなどと貶すものもあるだろう。勿論現代宗教と性欲といふ題の下に青年宗教心の発動の模様などを心理学上より論じて行くのならば、それは適当な事だとも思はれるが、併しそれとは自ら別で、今茲にはいづれかと云はゞ、主として神話并にそれに近似の方面に就いて、性欲との関係如何を究明しようと企てゝゐるのだとすると、此の場合では寧ろ単に現代宗教の性欲的起源とでもいふ風に看て貰ひたい。而して所謂現代宗教とは現に吾が国に於て行はるゝ三教、即ち神道仏教並に基督教に就いて,その一切を網羅すべき筈ではあるが、基督教の方の事は、早く西洋人の着手したものも亦相応にあるらしいから、自分の独創的研究としては、自ら日本旧来の神仏両道を主としたのは、当然であらう。
さて申す迄もなく、神話はどこの国にも古くから相応に存してゐる様で、従つてそれを集編した神話誌とも謂ふべき風のものは、又どこにも多少はある筈の様に思はれる。それは宗教の起原を研究せんとする者に取りては、固より決して粗略にすることは許されない。ヴントは曾て神話は科学の起原であつて、宗教の起原ではないと喝破した様に記憶する。これは非常に面白い卓見だと考へられる。併し実際上では、たとへ神話で以て宗教の本質を知ることは望み難いとしても、宗教の起原並に資材は是れに向つて明にせらるべき可能性に乏しくないと看た。只神話誌だけではどうもならない。
神話が学術的に研究せられ出したのは、所謂比較宗教学に始まるとも謂へよう。それは英国人類学者エドワード・ビ・タイロルなどに淵源すると云つても妨げあるまい。特に同国言語学の泰斗マクス・ミユラーが出でてから、宗教学の研究頓にその歩を進めたと共に、神話の研究は愈々盛になつた様である。併し同氏は飽迄も言語学者の立場から立論して行くので、どうしてもそれは一種の言語学的説明に偏することを免れないのは已むを得なからう。それと相並んで其処には又アンドリユー・ラング一流の人類学的説明を旨とするものもある。これはタイロルから系統を引いでゐよう。斯くして一方を比較神話学派と言へば、他方を近世神話学派などとも謂へる。然かもそれとは自ら別途に出でて、天文地文の上より、神話に象徴的説明を下さうとするものもある。例へば和蘭人ハインリツヒ・ケルが言語学者ではあるが、とにかく釈迦伝を挙げて太陽神話として仕舞つたのなどはそれだ。それは固より基督に就いても早くあつた。先年堂々と出版された幸徳秋水の絶筆とも謂ふべき「基督抹殺論」なども其一例だらう。若し夫れウイルヘルム・ヴント一流の研究になると、それはラツサルやスタインタールに遡源すべく、従つて是れとても亦言語学的たるに相違はないが、併しそれは寧ろ心理学特に民族心理学の上に立脚したものと看なければならない。
斯様に種々の学派のある際に於て、最後に新に起つたものは神話を性欲と関連して観て行かうとするので、暫く性的神話学派とでも呼ぶべきだらう。それは固より一朝一夕に成つた訳ではなく、夫のフアリシリズム即ち陽物崇拝の如きは、大分早くより学者研究の対象となりつゝあつたことを疑はないが、併し這の学風の長足の進歩は、どうしても英国の神話学者比較宗教学者たるサー・ゼームス・ジョージ・フレザーに負ふところが大なる様に思はれる。フレザー氏の著作は却々多く、而して執れも浩瀚のものである。自分も亦実は同氏の著作に由つて、啓発されたことの少くないことを公言して憚らない。尚ほ最近には米人哲学博士サンガー・ブラウンの著した「原始的諸人種の性の崇拝と象徴主義」(一九一六年出版)なる一書も、小冊子ながら却々教へられるところが多い様に覚える。自分の本書中に於ける色々の研究は、それから暗示を得たものも少くなからう。然り而して斯様に神話なり宗教なりの性的研究は、勢ひ夫の墺国医師シグムンド・フロイド一流の精神分析学をも度外視するを許さず。本書に於て「観無量寿経」の未二会聞一レ有二無道害一レ母の只一句の上に施した斬新な説明などは、所謂に学者の注意に値するものであらうと窃に信じてゐる。然り自分は今茲に神話の性的解釈を試みやうとしてゐるのである。
右の次第で以て、自分は本書に於ける諸般の研究は、固より尚は太だ不完全のものではあるが斯の新学の範囲に於ては、多少斬しい貢献を為し得たゞらうと自任して居る。元来這の性の崇拝の事は早く已に世間では非常に重要なる事項と看られて居たにも拘らず、学者間では兎角閑却されがちで、「大英百科字典」にも見えてゐない様な始末である。米国出来の「米国及万国百科字典」にはある。又独逸のマイヤーの「会話字典」にも相応に詳密なものゝ載つてゐることは、誰人も承知であらう。併し其処にはまだ吾が国に関しての記事はない様である。凡そ日本固有の神話たり宗教たる神道に関しての西洋人の著述は、必ずしも少いと云へない。併し性の崇拝に渉つたものは殆ど絶無であつたらしく、サトウもアストンもチエンバレーンもグリフイスもさてはラインもケムベルマンも乃至フローレンツなどの諸家も、皆概ねこれを看過してゐる様だ。否先年文学士高木敏雄氏の率先研究せられたところなども、只比較神話学の一面のみであつた。そこで米人エドマンド・バツクレー氏は、明治二十年代に於て数年間吾が国に遊び、専ら此の方面の研究に没頭し,終に「日本に於ける生殖器の崇拝」なる一篇の論文を作つて、シカゴ大学より学位を受領した様だが、該論文は千八百九十五年即ち明治二十八年に同大学から出版せられて居り、それを例のスタール博士から借り受けて、出口米吉氏が逐一叮嚀に翻訳したものが、「人類学雑誌」の第三十四巻第二号に三十余頁に亙つて掲載されてゐるのを見た。事は大正八年二月にある。自分は当時それを一読して、多大の興味を覚えたが、併しそれは名詮自称生殖器崇拝を主としたもので,本書の性の崇拝を研究対象としたものとは、自らその範囲に広狭の別があるらしい。
尚ほバツクレー氏に拠ると、印度に於ける生殖器崇拝の事を知るには、サー・エム・ウイリアムの「印度教及婆羅門教」Sir. M. Williams ─ Hinduism and Brahmanism のリンガの条を首とし、同氏の「仏教」Buddhism 中にも面白く論じたところがあるが、更に一歩を進めてはフオルロングの「生命の河」Forlong ─ The River of Life.1883. や、ジエ・フアルガツソンの「木と蛇の崇拝」J. Fergusson ─ Tree and Serpent Worship. 1873. なども見るべきものだとある。
将又西欧の事に関しては、先づサー・ジー・ダブリユー・コツクスの「アリヤ諸国民族の神話」 Sir G. W. Cox ― Mytholgy of the Aryan Nations などから読むが好からう。その外には左の諸書があるが、併しそれは大概非基督教的態度の成心を以て書かれたものゝ様で、実際純正なる良書とは認め難いと注意してある。吾儕基督教国民ならざる者には、却つてそれが好いかも知れない。
(一)ナイトの「プライエプス崇拝論」附録 R. P. Knight ─ A Discourse of the Worship of Priapus. London. 1865.
(プライエプスは素、希臘のプリアポスで、勃起せる陰茎の義である。それが次第に農園の神・酒の神・牧畜の神・漁猟の神より生様繁殖の神と崇められたのである。)さて又その付録は無名氏の著述で「中世時代西欧生殖力崇拝考」An Essay on the Worship of the Generativs Powers during the Middle Ages of Western Europe. とある。
(二)インマンの「古代の名称中に現はれたる古代の信仰」T. Inman. MD. ─ Ancient Faiths emboied in Ancient Names.
(三)同上「古代異教並に近世基督教の象徴」Ancient Pagan and Modern Christian Symbolism.
(四)ガプレーの「羅馬婦人の秘密信仰の記念」A. Capess ─ Mounment du Cultes Secret des Dames Romaines. 1874.
右バツクレー氏の論文は、前にも断り置きたる通り出口米吉の翻訳に依つて引抄したのであるが、書名ならびに一二改変したところあるのは、全く自分の好尚に由るので、敢て他意のないことを付言し置かう。尚ほ出口氏は雑誌「性」の第五巻第七号(大正十一年六月)以下に千八百十九年ロンドン私版の著者不詳の「世界生殖器崇拝の研究」なるものを訳載せられてゐるのは、恰好の参考書と看られやう。又米人クリフオード・ハワードの「性の崇拝」をも翻訳されたのは、勉強敬服に堪へない。
それに因みて今茲には前掲のサンガー・ブラウンの著書の巻尾に付いてゐる参考書目を転載して、斯道研究家の指針とするのも、強ち無用ではあるまい。
一、ブランドの「通俗故事の観察」J.Brand ─ Observations on Popular Antiqutes.
二、ブライヤントの「神話の体系」 Bryant ─ System of Mythology.
三、コツクスの「アリン諸民族の神話」 Rev. G. W. Cox ─ The Mythology of the Aryan Nations.
四、ヅギユベルトナチイスの「動物学的神話」 Angelo Degubertnatis ─ Noological Mhlogy.
五、ダイテリツチの「母として大地」A. Detierich ─ Mutter Erde.
六、デイクリンの「北方マイドス邑」 Roland B. Dixon ― The Northern Maidu.
七、ドルセイの「カツド族の伝説」 George A. Dorsey ─ Traditions of the South West.
八、フレザーの「アドニス、アツテイス、並にオシリス」「美女神バルダー」「プシケの仕事」 J.G. Frazer ─ Adonis, Attis and Osiris; Bolder, the Beautiful; Psyche's Task.
九、グードリツチの「アイノの家族生活と宗教」V. K. Goodrich ― Ainu Famiiy Life and gion.Po pularSc ience Monthly. November. 1888.
十、グロツスの「芸術の始」Grosse ─ The Beginnings of Art.
十一、ハリソンの「古代の芸術と様式」「正義の神テーミス」 Miss Jane Harrison ─ Ancient Art and Ritual; Themis.
十二、ハーンの「日本」Lafcadio Hearn ─ Japan, an Attempt at Interpretation.
十三、ヘロドタス Herodotus(Rawlinson's Trans.)
十四、ヒツジングスの「アナカリプシス」「ケルトのドリユイヅ」Godfrey Higgings ─ The Anacalypsis; Celtic Druids.
十五、ヒツチコツクの「神道即ち日本人の神話」Romyn Hitphcock ─ Shints of the Mythology of the Japaaese. (Smithonian Instiute.)
十六、ホウイツトの「東南濠洲の土着種族」A. W. Howitt ─ The Native Tribes of South East Anstralia.
十七、ジエンニングスの「ロシクリユシヤンス」「印度の諸宗教」Hargrave Jennisgs ─ The Roscrucians; The Indian Religions.
十八、ジエボンスの「早期諸宗教に於ける上帝の観念」F.B.Javons ― The Idea of God in Early Religions.
十九、ジヤドソンの「ミツシシビー谿谷並に大湖地方の神話と口碑」Judson ─ Myths and nds of the Mississippi Valley and the Great Lakes.
二十、カーパスの「近代精神病理学に照見したソクラテス」Morris J. Karpas ─ Socrates in the light of Modern Psychopathology.(Joutrnab of Abnormal Psychology. 1915.)
廿一、キングの「ノスチツク教とその残蘗」「彫玉の案内」C.W. King ─ The Gnostics and eir ReRemais; Hand-book of Engraved Genis.
廿二、ナイ卜の「古代芸術並に神話に於ける象徴的言語」「プライエプス崇拝の二論文」R. P. Knight ─ The Symbolical Language of Ancient Art and Mythology; Two Essays on the Worship of Priapus.
廿三、クレーバーの「アラバオ印度人の象徴」「アラバオ人」Alfred L.Kroeber ─ Symbolism of the Arapaho Iidians. The Arapaho.(Bulletin of the America Mnsum of Natural History.)
廿四、ラングドンの「タンマツヅとイスタル」 S. Langdon ─ Tammz and Ishtar.
廿五、レーヤルドの「バビロンとニネヴユー」「ニネヴユーとその遺物」A. Layard ─ Babylon and Nineveh; Nineveh and its Remains.
廿六、リユーバの「宗教の心理学的研究」James H. Leuba ─ A Pslhological Study of Religion.
廿七、モンゼンの「ホビの祭礼」Frederick Monsen Ii Festirals of the Hopi.(The Craftsmas. June. 1907.)
廿八、モーレーの「ハムレツトとオレスチス」「希臘叙事詩の起原」Gilbert Morray ― Hamlet and Orestes; The Rise of the Greek Epic.
廿九、ニユートンの「アツシリヤの杜の崇拝」John Newton ─ Assyrian Grove Worship.
三十、オブリアンの「愛蘭の円塔」 Henry O'Brien ─ The Round Towers of Ireland.
卅一、ビートの「秘密結社と神聖密教」Stephen Peet ─ Secret Societies and Sacred Mysteres.
卅二、バルロツト、チビエス合著「フリジヤ、リヂヤ、カリヤ並にリシヤに於ける芸術の歴史」「ペルシヤに於ける芸術の歴史」Perrot and Chipies ─ History of Art in Phrygia, Lidia, Caria and Lycia; History of Art in Persia.
卅三、プレスコツトの「秘露の征服」Prescott ─ Conquest of Peru.
卅四、プラツトの「印度とその信仰」J.B.Pratt ─ India and Its Faiths.
卅五、ロウリンソンの「古代垓及の歴史」「古代諸王国」G. Rowlinson ― Hislory of Ancicnt Egypt; Ancient Monarches.
卅六、レクラスの「原始的民族」Elie Reclus ─ Primitive Folk.
卅七、リーヴアースの「トーダ人」W. H. R. Rivers ─ The Todas.
卅八、ラインの「秘事」Dr. Otto Rhyu ─ Mysteria.
卅九、ロスコーの「北方バンツ人」John Rosecoe ─ The Northern Bantu.
四十、ロツコの「古代の性の崇拝」 Sha Rocco ─ Ancient Sex Worship.
四一、ルツスレーの「印度とその土着の君公」Lonis Rousselet ─ India and Its Native Princes.
四二、スペンサーの「濠洲北方領上の土着の諸種族」B. Spencer ─ Native Tribes of the rthern Territoryof An stralia. 四 一三、ソーラスの「古代狩猟者」W. J. Solas ─ Ancient Hunters.
四四、スターケの「原始的家族」C. V. Starcke ─ The Primitives Family.
四五、スチヴエンスの「中央亜米利加、キアベヅ並にエカタン」J. Stevns ─ Central Amerrisca, Chipez and Yucatan.
四六、サイモンヅの「希臘の倫理に於ける一問題」J. A. Symonds ― A Problem s in Greek Ethics.
四七、ウイツスラーの「シユー族の装飾芸術に於ける象徴」Clark Wissler ─ Symbolism in tte Decolative Art of the Sioux.
四八、ウエストロップの「原始的象徴」Hodder M. Westrop Primitive Symholism.
四九、ウツドの「未開化諸人種」Rev. J. G. Wood ─ The Uncivilized Races.
五〇、ウツドーマルテインの「異教の愛蘭」Wood Martin Pagan Ireland.
右参考書目は一寸見たところでは、却々豊富の様だが、併し其処には少くも支那に関したものは、とんと見当らない。斯くして吾儕研究の未路地は,尚は頗る広漠たることを思はなければならぬ。自分も今後幸に余暇があつたならば、此の方面にも指を染めたいと望んでゐる。特に三皇五帝より夏殷周三代に及んで、典籍上に見えたものと、吾が古典との比較なども、大に興味があらう。自分は大正三年秋日本社会学院第二回大会に於て、夫の大祓の祝詞に於ける天津罪と国津罪とに就いて、特に注意し、食気と色気とは確に社会的諸現象の基礎であることを高調したこともある。然かも是の如きは、朝鮮に於ける支那古代の習俗並に南洋諸島のそれと、比較して始めてその真相を発揮することが出来ると思つてゐる様な次第で、延いて吾が神道の科学的研究は今後大に起らなければならぬだらうと信ずる。それは筧博士加藤博士のものとは自ら別途に出づべきだらう。