凡そ仏教でも基督教でも男女両性の間に差別を設けて、男尊女卑と看做すは古来の通形と謂へよう。印度では昔から女子を軽侮した跡は歴々指摘すべく、その影響は延いて仏教に及び、兎角女子の成仏はむづかしいとしたのを、阿弥陀如来に至って始めて四十八願中の第三十五番目に女人成仏をさせると誓はれたが、併してそれさへ変成男子の願と名づけて、願力不思議で一且女子をば男子に変化した上での成仏である。「法華経」には八歳の龍女は近時の学説通り龍性の女子と看るにしても、此のところ特に八歳と云ふにお目を止められたい。基督教でも旧約全書中には前後通じて男尊女卑の思想が散見して居り、又新約とても夫の撤摩提前書第十二章の説などはそれと殆んど同様である事は争へない。而して這の男尊女卑の起源を太古アダムとイヴの創造過程に追尋して居る所は却々面白い。基督教国の男女同権はその後歳月の閲する間に、漸次に進化発展して来たもので、固より必ずしも最初からさうとは云へぬ。
尤も或る宗教では却って男子よりも女子を貴しと観るものもないとはしない。我が伊勢の大廟では倭姫命の御時よりして、昔は代々内親王をば斎宮に立てられた様であり、又近き頃まで宮中の賢所は内侍所と呼び奉って、名の通り内侍の女官がお給侍申し上げてゐたのである。是れは極々下様では、夫の梓巫なるものが、女であるのとも連想すれば出来やう。総じて神の憑るのは女子の方が多い。昔北野天満宮勧請の由来は、京都五条あたりの巫女文子であった事を知らば、思半に過ぎやう。畏くも神功皇后様の御一代記に特に色々神秘な事が多いのも、遉に御女性は宗教的にあらせられると恐察し奉って、有難涙がこぼれる。然かも是れは固より決して我が国のみの事ではない。自分は曾て羅馬に遊学中、フォーラムの一隅にあるヴエスターの古祠の廃墟を徘徊し、其処に昔我が所謂常燈明の様なものがあって、而かも之れに奉仕してゐたものは、皆童貞の処女に限られてゐたと聞いて、種々感想に耽らざるを得なかった。
斯くて現今の心理学は、更に一歩を進めて、宗教と恋愛とは根柢に於て、全然同一であることを高調し、従って春機発動と宗教上所謂廻心発心とは、密に相関係することを明にし、甚しきは両者生理的基礎を共にすることをさへ主張するものがある。勿論宗教は霊的恋愛であつて、尋常一般の恋愛が肉的なるとは大に異る様だが、実際童貞操持の老尼が、耶蘇基督を恋慕する情は、それを一個の情人と看て、空閨寂寞の思を慰めるところもあるらしい。僧侶の若い男子が、折々聖母マリアの彫像を抱いて、眷恋悶々の懐を遣るなども亦、毫も怪しむに足りない。我が国でも真宗門徒の妙好人が、阿弥陀如来を信仰する態は、又是れ一種の霊的恋愛であって、件の霊的恋愛はやがて一転して、身辺異性の僧侶に対する肉的恋愛と成り、陰に不義の契を結ぶに至るものは、必ずしも後家殿ばかりとは限らない。若夫れ神道に至っては、最も陽気で、昔は神社所在地は大抵花柳の巷を形成し、尚且つ売笑婦の中には、其処に奉仕の巫女たちが多く交つてゐたと云ふことである。今も住吉のお田植祭に、堺の乳守の遊廓から娼妓が田植女に出るのは、昔の名残であらう。下の関の赤間宮の祭礼に、稲荷町遊廓の娼妓が、官女の姿に粧うて列を作つて参詣するのは、壇の浦没落の際に官女が落魄して娼妓になったものゝ、昔を忘れない為だなどいふのは、どんなものか知らぬ。伊勢古市の事も亦或は此に属して看るべきであらうか。
之れを要するに内外共に、宗教そのものには、他の道学先生の言はれる様に、野暮極る無粋な事はない。偶々色々と道徳教訓めいたものゝあるのは、後来漸く附増したもので、それは社会世態の反映に過ぎぬ。従つて真実宗教はその本性は、倫理道徳とは大体に於て、没交渉である様に想はれる。いづれ追々詳論する積りだが、今茲には只概説として、卑見の一斑が分かれば宜しい。