壱(雛祭は日本固有の風俗中最も美はしい年中行事)

雛祭は日本固有の風俗中最も美はしい年中行事の随一だとして、早く西洋諸国にも知られて居る。即ち英語でフイースト・オブ・ドールスと呼ばれるのがそれで、直訳すれば人形の饗宴である。如何にもさうぢや。此の事は夫の米人グリツフイス氏が、千八百八十二年即ち明治十五年の頃に、逸早く在日本亜細亜協会の報告書第二巻中に掲載したので、それは割合に甘く書いてある。此のグリツフイスといふ人は明治維新の初に、我が国に所謂御雇教師として招聘されて来た人で、何でも前後十年余りも、開成学校即ち今の東京帝国大学の前身の所で、育英に従事して居たらしい。「ミカド・エンパイヤ」即ち「皇国」と題する有名の傑作があり、尚又滞在日記感想録といふ風のものも出版されて居て、昨今でも例の排日問題などが喧ましいのに連れて、矢張り相応に良く読まれて居るらしい。併し総じて外国人の手になつた土俗学や人類学の書物には随分沢山の誤謬があつて、時には噴飯どころか捧腹絶倒に堪へざるものも少くない。現に同氏の雛祭の書中にも数多の誤解が続出して、例へばシロサケ(白酒)の事を書いて、これは牛乳の代りに人形に飲ませるのだと云ふ迄は可いが、その註に白い甘い菓子とあるのはをかしい。或は英字の級りでエスがシーに誤り、サケがケークに間違つたのだとも想はれるが、それにしても東京の京橋通に人形店があると云ふのも、変に聞えるし、フェスチヴァル・オブ・ザ・ピーチ・フラワース即ち桃花祭の名は、欧羅巴人が附けたのだなどは、又書き様が穏かでない。これは余計な話ではあるが、先年来土俗研究の為に数度来朝されて居る夫のお札博士スタール氏などの業績にも、亦或はそんな大小の間違ひがありはすまいかと心配する。併し是れは必ずしも今日に始まつた訳ではなく、昔、玄弉三蔵の入竺紀行などにも穿鑿すれば同じ様な事が多少あらうと考へる。

此の土俗学の上では是れ迄も色々と人形の事が注意されて居る。その中で朝鮮や支那では、四月八日の釈尊降誕祭に、広く玩具が売られるので、恰も子供の祭日の様であり、其処に古の偶像の名残りとも謂ふべき人形を祭るのは、我が雛祭に相応するものでもあるかの様に言ふものがあるは、灌仏の花祭を半可通に誤解したのだが、図らず奇想天外より落ち来つて、却つて面白い。仏蘭西語でラ・ブツサはやがて仏陀の事だなども拾て難からう。それにしても支那では人形芝居の行はれる事は久しいものだが、少女が人形を弄ぶのはそれとは全然別で、元来支那の女子は人形を玩具としたことはない。日本も亦さうである。日本の少女が人形を弄ぶのは支那同様に、多分和蘭人から輸入された風俗であらうなど云ふ、ドクール・グスタヴ・シュレーゲルの説などは呆れて物が言へない。