弐(抑々我儕日本人が人形を弄ぶ事は由来頗)

抑々我儕日本人が人形を弄ぶ事は由来頗る久しいもので、例へば弘法大師が幼時の嬉戯には仏像の土偶を造られたといふ伝説もある。否そんな細かい事例を挙げなくても、現に雛祭の沿革に遡つて考へると、直ぐに成る程と合点が行かう。申す迄もなく雛祭の初は寧ろ雛遊であつたらしい。一説に崇神天皇の御宇和珥坂で少女等が武埴安彦の謀反を企てゝ居ることを告ぐる歌の中に、比売那素寝殊望……ヒメナソヒスモといふ辞があるのは、雛遊の事だとさへ云はれて居る。併しこれはどうやらさうではなくて、只美女を集あて酒宴などした事を云つた様だが、更に一説には雛遊は敏達天皇の御代から始つたもので、実に聖徳大子の御時から早く上巳の節句は行はれた様に云ふものもある。これ亦固より余り当てにはならないとしても、平安朝藤原氏の盛時には、上流の家庭には雛遊の広く一般に行はれたことは「源氏物語」や「枕草子」、「宇津保物語」などにも所々散見して居る。但しそれは雛遊であつて雛祭ではなかつた様に思はれ、単に人形の変態に過ぎなかつた事は、現に「源氏」の紅葉賀の巻には、雛人形の中に光源氏の君を象つたものがあつたと云ふ事で知れる。尚ほ同じ巻に十歳以上の人は雛遊はしないもの、それは子供らしい事であると云ふ旨の記事もあるので、大方推察されやう。

斯様に申すものゝ雛祭といふ語も亦早く天暦の頃から見えて居たことは争へない。畢竟雛遊と謂ふも雛察と謂ふも、大した相違はなく、フイーストとフェスチヴァルとは其の本は一つで、別して日本のお祭りはやがて饗宴であると云はゞ云へもする。それにしても現に今日行はるゝ雛祭にも、何となく祭と遊と二つの異つた元素が寄り合つて来て居る様に見えることも、承認しなければなゐまい。

斯んな話は只無駄話で、時事多忙の今日全く無用の沙汰に過ぎない様に思はれるか知らんが、それは決してそんな閑文字ぢやない。文化発展の上から観て多大の関係があり、又一面特に宗教起源の研究にも資益する所があることを思つて貰ひたい。偖又話が土俗学の上に戻るが、現に学者間には野蛮未開の人民中に於ける児童の人形遊びには、宗教的表現があるかないかと云ふことで二説ある。ジェー厶ス・厶ーネーは曾てモキースやピユブロ種族の弄ぶ人形には神話上の人物を写すのが通例で、従つて宗教的意味が著しいが、キオワス種族などは、却つて宗教上神祗の形を作る事は、恐れ避けて居たとある。何はともあれ、児童特に女子が人形を愛玩するといふ事は、古今文野を問はず殆ど人類一般に共通の本能であることは疑ない。それは亜米利加印度人や又エスキモー人などの中にも、毫も人情に変りはないことを断言する。而して彼等児童の人形を愛玩する仕方は、大抵之れを活きたものと視て、それに由つて大人日常の生活を縮写的に模倣する様だと云へる。併しそれとは又全然別に宗教的理由から人形を作る事も、昔から到処にあることは掩ひ難からう。