去る四月十三日の午後四時過ぎであった。自分は丁度仏教大学から出て大宮七条の停留場から乗車して七条駅に向つて行くと、道路の両側に人出が多いので、何事かと思って居る際に、一つ、二つ、三つ官幤大社伏見のお稲荷さんの神輿が、例の通り多数の若者に担がれ下向して来るのに出会りた。成る程けふ此の頃は稲荷祭であるナと始めて気が付いた。ソシテそれは昔弘法大師が稲荷神と称する老翁と冥約黙契をした縁故とかで、今尚は東寺の方へ渡御しようといふ道中であるらしい。併しどうしたものか、若者は至極大人しく、ワイショヽヽヽヽの掛け声も一向引立たず、何だか間が抜けた様で、最後に宮司か誰か幌馬車の而かもボロ馬車で、御供をして居る頓珍漢と共に、如何にも時代錯誤の様で、少々変に感じた。従つて途上でも拝礼する者は沢山はないらしいが、車中で一人の四十恰好の小商売らしい男が、神輿の来る毎に、起立して拍手恭しく拝礼したのは殊勝と謂はうか、想ふに今日電車や自働車の四通八達して居る都大路を、矢張り昔の侭に、真裸でない迄もが、半以上身体八膚を暴露して、昼日中に踊り廼り狂ひ廻り、僅に巡査の警護で、さしたる怪我人も出来ず、遣つて行くと云ふのは、野蛮と謂はうか未開と謂はうか、何は何でも時代錯誤に相違ムらぬだらう。仏教大学などでも数年前までは、当日午後は臨時休業した様であるが、今日はもはやそんな事のないのは、或はそれ丈けでも昇格の実はあると見えるだらう。
尤もそれで以て他の上下両加茂の葵祭の方が、一層有難いと云ふ訳ではない。由来葵祭には神輿はなく御所車か何かで、牛歩遅々として静に徐に練つて行き、年々に変へる風流の花傘は今尚ほ王朝の盛時殿上人の都雅なりし気象気分を存して、如何にも品が好いには相違ないが、其処に毫も活気といふものが無く、只僅に競馬の形ばかり之れに伴つて行はれるものがあるので、少しは勇み立つ様であると云へよう。稲荷祭の方が浮世絵であるとすれば、葵祭の方は絵巻物である。彼は動的であるのに対して、此は又頗る静的である。否彼は平民的たる所に特色があり、此は貴族的たる所に本領がある。知らず二者執れが所謂祭の意議に適つて居るであらう。
上下両加茂は、古来全国大小諸神社の筆頭といふ所で、伊勢二所の皇太神宮並に石清水八幡宮の宗廟に亜いで、朝廷の崇敬最も厚く、官祭極めて荘厳で、只単に祭りと云へば、葵祭の事と合点された程である。従つて其の神領並に之れに附随して分祠のある事は、箱根以西では、却却広く布及して居る様に見受ける。本社の夙に官幤大社であるのは勿論、地方にも県社郷社村社格のものはざらにあらう。併し庶民実際の信仰はと謂つたらば余り多くない事は、夫の奈良の大仏が今日庶民信仰の対象とならないのと相似て居る。