稲荷の方は実際俗修に伊勢屋や犬の糞同様に取扱つてるる如く、更にその分布は広いのみならず、今尚ほ庶民信仰の対象である事は争はれまい。先般全国諸神社の一ヶ年の賽銭高を取り謂ベたものが新聞紙上に見えて居たが、何でも皇太神宮が第一ださうなが、それは畏しければ暫く言はないとして、その次は確か讃岐の金毘羅と伏見の稲荷であつて、八坂や北野などよりも遙に勝つて居る様である。如何にもさうであらう。伏見稲荷社頭の繁昌今も昔も変りない。上下両加茂の神境いたく神寂びて、不素賽客の寥々たるのとは、雲泥の差である。畢竟お公卿さんの位倒れと謂つても好からうが、さりとてお稲荷さんも亦正一位であるとすると、花あり実あり、位もあれば禄もあると謂へやうか。丁度此の対較は、夫の東京で日吉神社と神田神社とに於ても見えるらしい。日吉神社は昔は将軍家、今は畏くも皇城の鎮護たるらしく、やがて官幤大社にまでも陞進して居るが、神田神社の方は江戸つ子、神田つ子の鎮守で、社格は今尚ほ一個の府社たるに過ぎない。それでも神田社頭の繁昌は固より日吉神社などとは同一の談ではない。夫の常盤津か何かにある神田祭と謂ふのは、如何にも日本の音曲としては頗る勇しく賑なものである。
一体に此の祭礼と謂ふのは頗る陽気で賑かなものでなくては面白くない。蓋しそれは祭礼と●(酒のつくりに輔のつくり)宴とは素、その根元を一にして居るもので、大に飲み大に食つて、踊り廻り騒ぎ廻はるにあるからで、それは夫の西洋諸国でも仏蘭西、伊太利、墺地利などの加特力教国で今尚は盛に行はれるカーナヴアル祭の大騒ぎを観ても知れる。実際巴里市中同夜の混雑々踏と謂つたならば筆紙に写し難い。乱暴狼藉無礼無作法、殆ど天下晴れて御免しいふ態である。満都の士女皆狂舞すると謂つても敢て過言であるまい。その仮面で変装する所は、何となく我が節分のお化などに髣髴たるものがある。これは毎年日は固より一定して居なくて、多少の前後はあるが、慨して二月の末にある筈で、而しその後に引続きてカレームと謂つて、四週間も精進潔齋して、持戒堅固に謹慎すベき宗規があるので、先づ一度に大に遊んで置くのだと云ふ説もあるが、その当否は十分承知しない。それは元来基督教前の異教徒の風俗を伝へ襲うたもので、基督教国と成つては、そんな理屈も追々後から附増したものであらうが、当初は只飽迄も、賑に楽しく遊ぶといふ事にあつた様だ。
斯くて一般に祭礼は、●(酒のつくり、輔のつくり)宴であり、暴飲暴食の日とする事は、昔は羅馬辺でも早くから定って居たらしい。併し飲食ばかりでは物足りない。否その裏面には必ず男女の自由なる交婚が行はれた事は、夫の浄瑠璃の文句にもある鎮守の祭りの宵宮になど云ふので分かる。盆踊が実に青春男女の相契る好機会であつた事は申す迄もない。西洋では右のカーナヴアルの祭礼後、四週間の精進日はあるが、それも中の一日はミカレームと謂つて骨休めとし、同夜は彼処此処に舞踏会が僅される様で、巴里のグラント・オペラの大舞踏会の盛況は実に驚き入つた。