右述ベた通りで、陰陽配合男女結婚は、生産の上にも又繁殖の上にもあつて、天地の化育も人間の繁殖も共に一理透徹で、生殖作用やがて造作の妙機と看るベきは当然であるが、併し尚ほ仔細に研究して行くと、天地の化育の生産の方は女神が主であり、人間繁殖の生殖の方は男 神を主とする傾きがある。現にフアリシズムは其の名の如く男子の陽根崇拝で、実際女子の陰門を象徴したものはそれと較ベては少いと云へやう。然り而して宗教の発達史を遡尋して見ると、何処でも大抵生産の方が先となり、従つて又女神が主であるのが、何時となく生殖の方が主となつて男神やがて女神に代る様に見られる。その女先男後の順彫は、猶ほ家族制度の発達史上で、母系が先であり、父系は之れに次いで来る如くであるのも亦面白いではないか。

此の父母両系の交迭と謂ひ、男女両神の入れ替りと謂ふ事は、太だ恐縮なる申条ながら、古神道研究上我が天照皇太神の神格の御上にも、何となうその影がないではない様に見上げ奉る。勿論普通には、天照皇太神は女神にて座す事は、誰も爾か信じて異論はない筈だけれども、然かも天照皇太神は男神なりと云ふ一説も、亦夙に徳川時代の国学者などの一部では険に唱道したものがあるらしく、新井白石なども或はその一人でなかつたか知らぬ(?)尚ほ若し仮に天照皇太神の象徴は太陽であるとすると、太陽の性は世界各国必ず一定して居ないから妙である。

独逸語ではデイ・ゾンネと云つて女性であるが、仏蘭西語てはル・ソレイユと云つて男性である。

英語のザ・サン男女執れかと云へば固より女性の方なるベく、伊太利語のイル・ソーレは、無論男性である。北方独逸系では日神は陰で、南方拉丁系では陽であるとすると自分それに一つ理屈を附けて、北方では気候風土の為に長く自然の生産に重きを置かなければならなかつたから、女神たる太陽が依然崇拝されて居たが、南方では温和の気候、膏沃の風土、自然の生産には何の苦もなかつたから、早く繁殖の方に重きを置いて陽神の太陽が尊敬されて居る訳であらうと云ひたい。

畏れながら伊勢皇太神に於ける内外両宮の御事に就いても、神道研究上色々古来議論がある様で、これも徳川時代の中頃であつか、外宮神職が一時僭越にも漫りに内宮よりも外宮が上であると主張して、一騒動が起らうとしたことがある。それは勿論妄論で取るには足らないだら う、併し今日でも朝廷よりの正式参拝には確か外宮を前にし内宮を後にせられる様に心得て居る。アレには色々秘説のあることゝ想はれるが、暫く自分の極めて新らしい未熟の卑見から申すと、外宮は豊受皇太神と申し奉つて、御饌津神に座す筈なれば、これは一層古い神で、地に 近く、生産を掌り玉うた者の名残と見られ、一説に国常立尊だなどと曰つた事も亦読めよう。而かも内宮の天照皇太神は女神ながらも、早く大君主とし、天祖とし六合に照臨し玉ひ、爾来万世一系の皇室は実に天日嗣にあらせられ、今後とても天壌と共に無窮なるベしと信ずる。そ れは又看方に由つては御徳恰も男神の様に雄々しくましまし、神弟素戔嗚尊との御誓約に由つて、各々五柱の神々を生み玉ひ、而かも天照皇太神の方にすベて男神を取り玉ひし古伝などに屹度注目しなければなるまい、