斯様に一つの神に別の神を附ける事は、随分西洋諸国の古い宗教にもあつたらしい。例へば希臘では後年アポロの祭殿に、これが附随者として、セレスが祭られたことがあるさうな。アポロは男神ではあるが、我が天照皇太神と同じ様に、太陽神である。而してセレスは地の神で あり五穀の神であるとすると、是れ又豊受太神に似て居る所がある。但し豊受太神は男神である。
自分は上来生産と繁殖といふ事で以て、色々縷述しが、それは又他の言葉を以てすると、食気と色気との二つにすることが出来よう。それがプロダクションとレプロダクシーンとである。而して此の二つのものが実に人間生命の元であり、社会的生活の由る所である事は、復敢て反復喋々する迄もなからう。即ち原始的宗教上の神祇には食気の方の主宰と、色気の方の主宰と二つあるベき筈で、之れを我が神道の上で言って見ると夫の高産皇霊と神産皇霊とは、或は陰陽の偶神の様にも想はれるが又思ひ返して見ると、是れは昔から独化の神で、陰陽の偶神としてはない様だとすると、寧ろ右の食気と色気とを代表して居られるものと観た方が好いかも知れない。大阪市の最も古い最も大きな神社である、官幤大社生国魂神社は、生国魂と足国魂の両神とかを祭つたものださうなが、それは生国魂の方が色気の神で、足国魂の方が食気の神であるとも看られんことはなからう。尚ほ昔は各国に大国魂の神社がある。今日でも著名なのは、大和では大和神社と謂ふがそれで、官幤大社で柳本町の近傍に鎮座して居られる。東京府多摩川畔の府中町には官幣小社か何かで大国魂神社がある。俗には六所明神と呼んで居る。出雲には旧意宇郡内には大国魂神社が出雲大社の摂社の一として儼存して居る。此等大国魂は皆その国々の国土の地神で畢竟生産の神と看るベきである。因に出雲大社も寧ろ五穀豊穣の食気が主で、縁結びの色気の方は摂社か何かの八重垣神社の方にあるらしい。
そこで話は再び最初の稲荷さんと、上下両加茂の事へ立ち戻つて来る。抑々稲荷の祭神は何者であるかは、実は極めて曖昧である。夫の神宮皇学館で出来た「古事類苑」には随分精しく載つては居るが、別に卓見もなく名論もない。世間一般には、狐王廟と看て居る。神官共に言はせると狐ではムらぬ、三狐神即ち御饌津神の転訛だと云ふらしい。さうかも知らぬ。宇賀の魂だと云ふ説も古くからある。それならば生産神である。大宮女命などといふのも亦矢張り生産神に属しよう。而して稲荷の文字は豊稔々熟を表徴して居る。最近の説では是れは一つの蕃神で、夫の漢土より帰化投来の秦氏の一族の奉祀したもので、西に太秦あり、東に伏見の稲荷があると云ふのは、如何にもそんな事であらう。然かもそれと共に俗信仰上では狐神も亦少くも境内近くには祭りてある様で、狐は元来婬獣であるとすると、それで以て色気の側は十分代表され、根本は生産の食気の方が主たる上に、更に繁殖の色気の方が附け加へられて、論より証拠、食気と色気と相兼ねた所に、其の大繁昌の理由はある様だ。尚は加茂も上鴨の別雷神社の方は生産で、下鴨の別雷神社の方は、寧ろ繁殖であつた事、例の丹塗の矢の神話でも略ぼ推察せられんでもないが、漸くその古意を失却して仕舞つたと共に、民庶の信仰も亦漸く去りて仕舞ひ掛けたのではなからうか?加茂と縁故の厚い松尾大神が俗に醸酒の主神であるなども面白い。