それに就けて自分が最近に読んだ書物の中に、仏蘭西ドクトル・テツシェーの書いた「体育と人種」といふものがある。著者は仏蘭西体育協会とかの会長である。而して予ねて仏蘭西人種の衰弱に陥ることを嘆いて居たが、今度の大戦でいよいよ人種改良を切実に感じたらしく、乃ち此の体育論を書いたのださうなが、著者は古今の体育法を二大別して、一つは昔、希臘のアセンスで遣って居た様に、力を先とし、それに由って健康を得ようとするのと、一つは今現に瑞典式として知られて居る、健康を先きとし、それに由つて力を得ようとする、此の二つがある。而かも著者はそれは固より瑞典式に賛成してゐる。此の事は我が国学校体操の一権威者たる永井道明氏が、過ぎし二年間欧米を遍歴して戦後諸国の体育の実呪を視察した報告書中にも、略ぼ同じ様に明言してあつて、現に米国のは学校間の競争が激烈で、既に其の流弊に堪ヘないものがあると云つたのを思ひ出させる。

そこで著者テツシェー氏は、其の体育の三大標語として健康、勤労、長寿と高く掲げてある。

詰まり丈夫で働いて長生きせよと云ふのである。これは何等奇抜な事はないが、所謂千古不磨の真理で、毫も間然すべきところはなく誠に以て将来デモクラシーの世に於ける青年修養の方針として、最も可なるものだと考へた。只問題は如何にして健康勤労長寿を得べきかと云ふことにある。知らず体操にそれだけの効果があるかどうか。遊戯技はどうか。近頃大流行の登山は如何。酒と煙草とは衛生に害ありとして、禁酒禁煙は果して強制を可とするかどうか。色欲の節制は如何。梅毒痳毒の予防はどうする。肺病は勿論、諸種の伝染病の撲滅は出来ないか。先きにはメチニコツフ氏のラクトーゼに於て不老不死を求めんとして、本人自ら七十内外で死んで仕舞つたのを見ると、スタイナッハ氏の睾丸内分泌催進を旨とせる若返り法も果してどれ程効能のある事やら、甲状腺越幾斯の効用も、人参のそれと相伯仲たるものではあらざるか。誰もまだ急に確答は出来まいが、兎に角今日は諸事追々科学的に成って、復昔の様に宗教的迷信的でなく、又単に禅学とか仙術とかいふ哲学的のものでもなく、一々実験に基せんとするのは有難い。夫の疱瘡も一たびジェンナ氏の種痘法が発明成ってからは、復牛頭天王も何も用のあったものではなからう。爾余の注射とが血精療法とかも亦研究を累ねたならば、遠からず百発百中の確実なものと成ることは信じて疑ない。

乃ち同じ勤勉すると謂つても、又もや既に産葉革命を経過したとすれば、社会経済組織は一変して男女耕織の共稼と云ふ訳には行かなくぶる。是れも亦宗教談や道徳教訓の陳腐なものでは行かず、寧ろ十分科学的に整然研究いで行かねばならぬ。稼ぐに追ひ付く貧乏はない、只々稼げと云ふのでは、適用しない。テツシェー氏は其処に秩序活気体統並に責任を四大条件として居る。斯くて七夕祭や祇園祭はもはや只過去の文化たるに過ぎまい。遉に優美ではある。