更に詳に論じて行くと「大日経」とか「仁王経」とか乃至「三世最勝心明王経」とかに書いてあるものと「南海寄帰伝」に載つてゐるものとは、同じく大黒をその名とはしてゐながら、全然別で、言はゞ同名異神と申したならば早く分からう。現に「大黒天神法」にも亦夙にその文章は両頭的になつてゐることに注意して見なければならぬ。即ち劈頭第一に曰はく、大黒天神は大自在天の変身なり、五天竺並に吾朝諸伽藍等皆安置するところなり。人あり云はく、大黒天神は堅牢地天の化身なり、伽藍これを安んじ、毎日炊ぐところの飯の上分を、此の天に供養す云々と。即ち其処には早く大自在天と堅牢地天と二説があることが分からう。然り而して大自在天とは何ぞと云へば、是れは固より●伐神と謂つて、破壊猛烈第一の力あるものであるとすれば、忿怒相の方は早く之れに由つて出て来て居ることは、喋々を待つまい。然かも堅牢地天の方はさうでない。それは衆人の供養を受けて、富貴官位爵禄を授与する、福徳円満の平和な神様であるらしい。知らず堅牢地天とは何者であらう。
想ふに堅牢地天の事は、主として「金光明最勝王経」の堅牢地神品を所依とする。尤もその外に「地蔵本願経」にもあり、又「大日経疏」などにも見えてゐる。併しそれはいづれにしても大地神女で、図像は陰陽●神ある様だが、共に相応に美しいと謂へる。何はともあれ世間崇祀の大黒天とは似ても似つかない様だ。自分は此処に所謂堅牢地天はどうしても「最勝王経」などのそれとは思はない。而して此の点に於て畏友松本博士が、これは倶吠羅或は倶●羅であるとし、此の神名は従来余り多く漢訳の経文中には現はれてゐない様だが、「毘沙門天王経」の中には、北方世界に倶吠羅と名のる夜叉がある。而して印度の伝説では、倶吠羅は啻に北方夜叉の主領であり守護神であるのみならず、又財宝の神で、金銀珠玉その他地中に存する一切の宝物は皆彼の司るところだとして居るといふことを挙げて、新見を立てられたのには、大に感服せざるを得ない。
然り印度に「羅摩延那」といふ叙事詩があつて、それには具さに這の倶吠羅の畸形醜状が書いてある。尤もバルフトの塔壁などに彫刻した図像では、矢張り尋常一般の人間の形であるが、只上下の釣合が悪く、又それが後世のものになると、その身体が著しく矮少で、両足が格別に 短く、而かもその身体は昔も今も常に黒く塗られてゐるとある。松本博士は之れを解して、凡そ此等の身相は皆是れ倶吠羅が、地中に埋れたる闇黒の神であるから当然であるとしたのは、如何にも当然の事で、それならば又克く吾が坊間崇祀の大黒天に肖てゐやう。これは実に先人 未発の卓説だと謂へる。尤も「毘沙門天王経」には這の夜又は、最初は勇猛暴悪であつたのが、仏を見て帰命したのだとあるとすると、夫の大自在天の化身と謂はれてゐる大黒天も、亦或は矢張り倶吠羅の一面かも知れないが、どんなものだらう。