大黒天既に斯くの如くに、性の崇奔に出でて、一大福神と成つたのだとすると、自分は又夷神も同じく性の崇拝と見たいが、それは一寸面倒ならしい。蓋しこの神の事は前にも言つた様に、吾が国固有のものと思はれる丈にその本体は却つて分らないから困る。従来夷神を蛭子と書いて、夫の神代記中の蛭子命と看做し、諾册両尊の三郎殿などと謂つて、夷三郎と一つものに取扱へるのは間違て、夷社と三郎社とは、何処にでも昔から別々に存立してゐる事は争ひ難い。或はそれを海神視して、美保関鎮在の八重事代主命と同一にし、更に又海神宮へ御幸を因縁として、彦火々出見尊と同じものゝ様に言ふのも、格別根柢はない様だ。それよりはまた大黒を葦原醜男の大己貴命に較べる方は拠り所が多い。袋と謂ひ鼠と謂ひ、別して好色な点の相似てゐる様だが、夷と事代主命とはそんな引懸りはないだらう。
そこで前掲の長沼学士は、夷はヒナと訓ずべきもので、夷守とも思ひ合はされるが、さりとて夷社を以て此辺境の坊人が祭祀したものとは見えず、これは矢張り夷で、昔夷と謂へば主として蝦夷を指したところから推して考へると、これは恐らく夫の佐伯部に附りて彼処此処に置かれた蝦夷の祭つたものだと見られる。現に安芸国宮島の厳島神社々内の夷社の位置に就いても、確にその証はある。斯くて自ら海上と親密の関係ある上に、又エビスなりエミシを蝦夷の文字と共に混同して、海老主とするところから、一層海神化したので、それが摂津広田神社即ち一大海神の末社となつてゐるのも自ら理窟はある。斯くてそれが海上安全の神であり、漁撈守護神であり、又偶々西宮が酒造の大工業地と成つてから、商売の神とも崇められて、一大福神と看られる様になつたのは、当然の進化で、その魚を脇に抱き、釣竿を手に持つなども、亦追追と時代を経る侭に附増したものに過ぎないと云つてゐられる。是れも亦非常に面白い。
併し自分は又稍牽強ながら、先づその持物の魚たるところに屹度着目し、魚は性欲神話学上では、大抵女陰の象徴たるところから、これは大黒天の男根のそれに相応するものだと見た。尚ほその上に夷神の相好が如何にも柔和で女にもして見まほしきところも、軽々看遇は出来まい。その顔が三角の倒懸で而かも稍中低なのは、又女陰の象徴とも見れば見えもしやう。夷にヒナの訓あり、雛と通ふのも亦必ずしも全然無縁故でないかも知れない。摂津西宮は早くから傀儡の巣窟で、而して傀儡は又吾が国遊女の源だなどいふ事も、思ひ合はさずとは居られまい。厳島も女神なれば、広田も亦女神にて座はすことも、軽々看遇し難い。蓋し総じて舟は又女陰の象徴だとすることは、喋々を待たない筈で、海神が女神であるのに不思議はない。尤も住吉は上中底の三箇男神とすれば、是れは陽神であるが、若しさうだとすると、これは舟の帆柱なり、或は櫓なり櫂なりを象徴したものかも知れぬ。而して中古頻に京畿では、上流社会に於て住吉と広田とを相並べて尊崇したのにも、自ら深い因縁はある様に想はれる。西宮の名は恐らく京都より西方の大社の義だらうと考へるが、それは余談なれば差し擱かう。