斯様な次第で、自分は憚ながら夙に真言密教の由来に疑を挿み、曾て「密宗学報」の誌上に於て「真言宗或問」なる一篇を掲げて、大方の意見を質し、現に仁和寺門跡の土宣大僧正なども、私に成る程或はさうも見られやうと言はれたこともあります。所謂卑見とは外でもない、真言密教は寧ろ婆羅門教の一転して出来たものであらうと云ふのである。従って或は又寧ろ印度教に近い様に看られると言ひたい。否敢て其処迄は申し進まないにしても、兎に角婆羅門教近似のものである事は、明々白々掩ひ難い様で、或は釈迦牟尼仏が曾て婆羅門教を取り入れて説法せられたので、実質は婆羅門教的でも、形式は矢張り仏教であると言ふ位が穏当の落かも知らない。
若し更に自由自在に立言することを許され、従来の仏教徒が何でも彼でも悉く挙げて釈迦一代に収めて仕舞ふとするの愚を止の、夫の大乗非仏説論者の言ふやうに、顕教でも大乗の方は仏減後幾世紀を経過する間に、追々発展化したものであるとするならば、真言密教も亦同じく仏減後に於て、仏教者が順次に婆羅門教を取り入れて作り上げたのたと言はして貰ひたい。由来真言宗では付法八祖と云ふものがあって、大日如来、金剛薩●(さった峠のた)、龍猛(旧訳には龍樹)、龍智、金剛智、不空、恵果而して空海と、三国伝来の系統を立てる様だが、仮に大日如来を釈迦と同一視し、釈迦の大日に聴受して伝説する所を、金剛薩●(さった峠のた)即ち金剛手が筆録したものとしても、釈迦と龍猛とは約六百年乃至八百年を隔てゝ居るとすると、其の間は密教が南天鉄塔中に閉ぢ込められて居たと見られもするが、それよりも寧ろ此の久しき間に仏教と婆羅門教とが再び相接近して漸く醸成せられ、それが南天竺辺で早く一個の信仰を形成しつゝあつたのを、龍猛菩薩が大成して始めて密教が出来、尚ほ龍智とか金剛智とかゞ愈々磨き上げて立派なものとし、やがて支那迄も伝へ来つたのだと看たならばどんなものでせう。
一説に密教の或る部分は怛特羅文学で、西洋紀元六七世紀後に出来たものと云ふのは、或は当らずと雖も遠からずではありますまいか。龍智は龍猛の上足とすれば、遅くも西洋紀元三世紀を下りますまい。而して金剛智は唐の玄宗皇帝の開元年間に東来したとしますと、西洋紀元八世紀の人で、固より決して龍智の直弟子とは申されませず、其の間に多数の人傑かあつたに極って居ます。尤も龍智が吾が武内宿禰の二倍も生きて、六七百歳以上の長寿を保つたとするときは、復何をか申しませう。
以上陳ぶる所で、自分が真言宗は印度発生東洋哲学の二大系、即ち婆羅門教と仏教との集大成されたるものだと云ふ主意は略ぼお分かりに成りましたらう。尚少しく密教それ自身と婆羅門教とを比較いたして見ませうか。自分は●に「密宗学報」紙上で公にした様に、密教の密は深密の義よりも、寧ろ優波尼沙土が森の下即ち樹下の隠者の哲学にして、ウバニ、サデン即ち下に座すると云ふに通ずる所があると見たい様な気がする。勿論婆羅門教は大体に於て頗る神秘で、今日のミスチシズムの極甚なものであかば、其意味で密教と云ふのは不思議はない。否更に優波尼沙土を吠陀の奧義書と云ふ意味なりとしますれば、密教の密たる所以は更に明かで、固より必ずしも顕教の顕に対する訳でないかも知れぬ。尚は総じて婆羅門では吠陀を天啓とし乃至優波尼沙土をも天啓とする様で、果してさうならば大日直説法の意味も始めて明瞭で、大釈異同論などは全く無用になるからをかしい。
偖斯くして仮に真言密教を優波尼沙土起源のものと観来るならば、大日法身如来は梵即ちブーラマであることは、申す迄もない。それは泰一である、万有の唯一主神である。而ててそれは数々太陽に譬へられて居る。而して優波尼沙土にては別して思想を尚び、思想は一個の力なりと看做して居るが、思想と謂つても只だ純粋の思想でなく、毎に言語と同一視せられ、音声と連絡せらるゝので、斯くして抽象と具体と一致し、心の運動と物の運動とが一致する。是れは又何となく新プラトン派哲学のロゴースに似通つた所もあるらしい。併し其の東西比較談は暫く措くが、斯く思想と音声と一致するより、●即ちオムの如きは神秘不思議の呪符として非常に尊重せられ、或は許諾の義ありとか、服従の義ありとか、感謝の義ありとか、全是の義ありとか云ひ、更に進んで●は神である、息である、梵の智識の神龕であるとか謂ふ。それは畢竟秦一で、それが分解してアウムの三となり、其処にやがて毘紐天、涅婆天、梵天の三神が表はされ、三神即一と成るとする。然り而して此の●の字は、密教の諸真言の中では実に最も要語と成って居ることは誰も知って居る。それは或は供養の義にもならう。帰命の義にもならう、併し実際はそれよりは更に深い神秘のもので、先づ●と呼掛ける所に言句に絶した一大義趣があらう。又各真言の終尾にある莎囀賀即ちソワカも亦吠陀中の要語で、ソワカを以つて囚陀羅神の犠牲に捧ぐなどとあって、本来は火上に好く置かれたものと云ふ義じやさうだか、転じて希求願験の義となり、どうぞとか宣しくとか云ふ意味の感投詞となり、更に又円満成就、究竟涅槃、驚覚摂取などの種々の義趣を有する様に成つたらしい。(梶尾僧正常用諸経和解を参考)
否啻に●や蘇縛賀などの要語ばかりではない、一切の真言そのものが実に優波尼沙土に出て居るので、畢竟思想言語とを一致する所より来るのである。而して真言密教で謂ふ声字とか種子とか謂ふ事は全く優波尼沙土流たる事も亦争ふ事は出来なからうと考へる。委しい事は幸に今度世界文庫刊行会から高楠博士等の全訳が川つゝあるから秘考したまへ。