以下少しく立川流の何たるかを探求しよう。即ち宥快の「宝鏡鈔」には斯ういふ風に書いてある。曰はく立川流の所依の経典は、主として「理趣経」と「瑜祇経」とにある様である。「理趣経」の事は既に読者も聞いてゐやうが、「瑜祇経」の方は珍らしいだらう。これは具には「金剛峰楼閣一切瑜伽瑜祇経」といふので、巻数は僅に一巻、唐の企剛智の訳で、金剛界の蘇悉地法を説いたもので、猶ほ胎蔵界の「蘇悉地経」のごときものださうな。蘇悉地は梵語で妙成就の義である。尚ほその外に「即身成仏経」「菩提心経」「文殊経」「虚空蔵経」「法出経」「真言出現本地偈」「秘肝鈔」などいふものがあるのは皆偽作である。秘法としては堀出法・飛行自在法・三世常恒法・渡天大事・年延不二大事・御入定何重大事など色々あるらしい。立宗の要旨は一言以てこれを蔽へば、只だ男女陰陽の道を以て、即身成仏の秘術と為すに過ぎない。即ち法身は固是れ我が肉身上に現前してゐるもので、父子迭に生ずるのは法身常住である。凡そ仏国土と謂ふものも亦現在の此の土より外にはない。別に浄居らなければ金相もない筈だ。只その人が克く信受して、先きの心身を忘却し、帰依して未曾有なる様に成ったならば、それがやがて成仏である。将又更に一歩を進めて考へると、男女和合の際に於ける赤白二渧は、両部で、陽精は金剛、陰水は胎蔵と看るベきである。此の陰陽赤白二渧が冥合して出来た身だから、所有所作は皆法性だと看るのである云々。
立川流の事に就いて「宝鏡鈔」に書いてあるのは、大体これだけである。それでは語つて未だ精醇ならざる譏もあらう。何か他にモウ少し委しく書いたものはないかと、色々搜索中であったが、当時偶々本派本願寺仏教大学の龍谷蔵を、同した際に、図らず一書を看出したのは有難かった。それは「三賢一致書」といふ古刊本で、著者は大龍と署名し、文保丁巳元年に作つたところだと註してある。文保元年と謂へば宥快の出生に先だつこと約三十年で、実に立川流が最も隆盛な時である。全編三十四丁で、仮名交り体だから、宥快の似而非漢文体に較ベると、筆路平坦で、毫も窘束するところなく、頗る明瞭である。又以て一個の珍本と看て好からう。尤も或は後世の偽作かも知らんが、何さま立川流の教義を審にするものとしては、此の書の如きは稀だらう。その三賢一致と謂ふ所以は、儒釈道の三即一なところを現はすに由るとしてあるが、何れの途に帰一するかと云はゞ、それは今日の術語を以てすれば、性の崇拝是れなりと答ふるであらう。
即ちその梗概を抜萃して見ると、曰はく、上古天地未だ分れざる時は、空々寂々としてゐた。それが法性常住である。易の所謂太極はそれで、神道では国常立尊と謂ひ、仏教では空王古仏と申す。天台の本覚真如の如来も、華厳法相の毘盧遮那仏も、真言の無相本有大日も皆同じものである。乃至浄土に一法句と謂ひ、又弥陀実体実智と謂ふも是れた。暦道上の磐古王亦異名同体である。これを仮に夫婦の縁辺に即けて言ふならば、それは縁談を言ひ出す前である。既にして夫婦相定まるところあるを明精と曰ふ。明は日月なり陰陽なり。日光菩薩・月光菩薩と謂ひ、真言宗にて金剛界大日・胎蔵界大日と謂ふのも亦それである。神道の諾册二尊亦是に外ならぬとする。「日本紀」に諾册二尊天浮橋に立ち玉ふといふは、夫婦和合の態で、天の逆鉾は男陽、青海原は女陰と看やう。阿浮曇は精液、伽羅藍は婬水である。肉身は母婬より成り、骨髄は男精より作られる。教仏ではそれを斥して、父母の清浄の一滴水と曰ひ、真言にては又特に両部大日の法水と曰はう。蓋し真言の秘密は男女和合の所を取って、聖天法と名づける様な次第で、男精を七魄と謂ひ、女婬を三魂と謂ふ。三魂七魄併せて閣摩十王九生神となる。牛頭とは陽で父であり、馬頭とは陰で母である。
更に詳説すれば、凡そ真言の極致は、母胎を華蔵世界と名づけ、密厳浄土と号するもので、都卒内院といふも亦同じである。従って胎内の子は法身大日で、大通智勝仏と謂ひ、又当来下生弥勒尊仏とも謂ふ。神道の方にすると、宝剣は陰茎、神鏡は陰門、彼此相合致して胎生するところは、やがて玉璽である。天の岩戸に隠るゝと云ふは胎生の事に外ならず。八幡と加茂とは夫婦である。八幡を男山と謂ひ、その岩清水と謂ふは腎水なり。加茂は女体で、社殿の下に水の漫々たるは、猶ほ女子の月経の如きである。以下胎児の発育よりして分挽に至る迄、その形態に就いて一々図示してあるが、今茲に一切省略する。蓋し余りに牽強附会の甚しきものがあるからである。