自分は曾て這の説話を聴いて、是れは又確に一種の太陽神話だと想つてゐたこともある。釈尊は太陽神と看られ、提婆達多は暴風雨神と做されることは、喋々を待たないが、此の話では頻婆娑羅王は太陽神の眷属で、阿闍世太子は秘蔵雨神の一類である。韋提希夫人は植物神と看てはどうか。王の奸臣が雨行と謂ひ、忠臣が月光と謂ふのも、何か自ら意味があるらしい。耆婆は生命そのものゝ象徴であらう。而して終に釈尊の月愛三眛に入つて大光明を放ち、阿闍世王の身瘡を照治したといふのは愈々面白いと思つた。

将又他の一面より観察すると、這の説話は一個の言語学的神話だとも謂へば謂へる。それは王后太子等の名前より構作した様な跡が歴然として居る為で、現に「涅槃経」には阿闍世の名称の密義を解して、阿闍は不生なり、世は怨なりとある。不生は未生と同じであることは申す迄もあるまい。言ふこゝろは未だ仏性を生ぜざるを以て煩悩の怨生ず、既に仏性を見る時は復何等煩悩の怨を生ぜず、大涅槃に安住することが出来るの意だと説明してある。然り而して太子の一名婆羅留支即ち折指といふ事も、実は勉強を本義とするのであると、畏友榊博士の曾て雑誌「芸文」の上で陣べられた卓見を見た様にも記憶する。成程「左伝」に三たび肱を折るは良医たることを知るとあるの類かと想つた。頻婆娑羅が顔色端正身模充実の義で影勝の訳があり韋提希が思勝の訳があるのを思ひ合せると、自ら考へられるところもあらうとしたこともある。

然かも今茲には自分は更に一歩を進めて、一個の創見を立てようとする。それは這の阿闍世の説話は又確に性慾に基づく神話だといふのである。而してさう考へたのには固より自ら順序なき能はずで、それは夫の希臘古神話のオイヂポスの物語と何となく似通つてゐるところがあると看たのが端緒と成つた訳だと云はう。抑オイヂポスはセーベス王ライオスの子で、母后はヨカステと曰つた。生前偶々懴語の伝へられるものがあつて、国王はその生子の為に殺害されるだらうと教へられた。そこで、これは大変といふところから、生れると直ぐシテロン山中に捨てゝ、樹の枝に懸けて置いた。それを牧羊者が拾ひ上げて、コリント王のポリブスの所に届けたところが、ポリブスこれを受け取つて、貴公子として立派に教育を仕上げた。稍々長じてから復神託があつて、汝は決して自家の本土に帰還してはならないぞ、本土に帰ると、屹度父王と会うてそれを弑し、母后と会うてそれを娶る様にならうと告げた、そこで固よりコリントより外の処は夢にも知らなかつたが、好奇心から竊に其処を抜け出して、旅路の空いづこと定めずさまよつた。斯くて途中で図らず父王ライオスと邂逅したが、誰とも知らう様なく、紛争の末終に斬り殺して仕舞つた。その時例のスフヒンクスがセーベスの附近を荒らしてゐた頃で、路行く人に向つて、誰でもその謎を解くことを能くしない者は、喰うて仕舞ふぞと威嚇してゐたのである。由つて、ライオス王の継嗣たるクレオン王は又広く公告して、能く這のスフヒンクスの国難を救ひ得た者には、王位を禅り渡し、並に皇后ヨカステをも与へて、その配としようと懸賞した。オイヂポスは難なくスフヒンクスの謎を解いた。而して何事も知らず、只だ約束の儘に母のヨカステとも結婚した。それをやがて更に神託に由つて始めて、事情が分明になつたので、ヨカステは固より大に慚ぢて自ら縊れて死に、オイヂポスは又自らその両眼を刳り抜いて盲人となり、その娘のアンチゴーネに導かれて、セーベスを迷ひ出でた。後アチツヵのコーネ城を手に入れが、偶々ユーメニデスの林中に隠れて、復行くところを知らなくなつたと伝へられてゐる。

這のオイヂポスの神話と関連して、フレザー氏はその「黄企の樹枝」Golden Bough 十二冊の中に、豊富な材料を雄弁宏辞で以て、国王とその子との間柄に就いて色々説明した。就中「死に行く神」The Dying Godの巻には、色々耳新しい事例が集められてゐるが、試にその一斑を窺つて見ると、凡そ国王の弑逆といふ事は、昔は案外に頻繁にあつた様で、而してその弑逆者は誰かと尋ねると、大抵王位を継承する人である。即ち実子でなくば最近親である。従つて又一男子が出生すると、それは数々父王に取つては一大危害の様に看做された。父王自ら殺害せられるよりは、王子を殺すに如かずとの習慣は、案外に広く行はれてゐた様である。オイヂポスの話は即ちその一例である。オヅト・ランケ氏の「勇者誕生の神話」The Myth of the Birth of the Hero には、更に恰好の参考書を得よう。偖又それと同時に王子の方からは、父王に対するタブーの形式の下に、実は敵対の感情を表し、数々公然幽囚禁錮飢餓、さては笞杖を以て撃つことさへを敢てして憚らず、西郡亜弗利加の一僧形の国王は、その椅子を下ることを許されず、夜も只その上に坐した儘に眠るのださうな。それ然り老親たる父王を殺害するが如きも固より左迄悪事とせず、却つて父王の霊はやがてその後継者の上に垂加し来つて、新王の威力を増益すとさへ考へられた。而して斯かる所の即位式には、男女両性の関係を放縦にして、無礼講の更に甚しきをも咎めず、従つて不倫の姦通は最も普通の現象であつた。尚ほこの外に国王はその壮時の中に殺すが国家の為で、若し老いたり或は病まれては、大変だといふのもあるらしい。

これに因みて自分は、吾が神典に於ける天孫瓊々杵尊がその后たる木花咲耶姫の只一夜で以て妊み玉ひし事を疑ひ、而かも后は自ら火中に身を投じて、その無罪を証明されたといふ話なども連想するのは、無理だらうか。皇祖神武天皇崩御遊ばされてから、まだ諒闇の中に、綏靖天皇は兄神八井耳命と力を協せて、庶兄手研耳命を奧殿に射殺されたといふ史跡なども亦思ひ合はさゞるを得ない。狭穂姫皇后の御事や、眉輪王の事など、研究の資料とすべきものは多々ある様に見える。凡そ此等の事は「皇朝史略」や「国史略」などの童蒙用書にも、早く隠さずに書いてあるから、申しても差支あるまい。