然り而して最近に及んで又墺国の医学博士フロイド氏は、例の精神分析学上に此等の諸神話を応用し、総じて人の心裡の極々秘底には、愛着と怨恨との錯綜した一大淵叢があり、その無意識の発動で、色々の神経病が出て来るので、それは夢に由りて分析して行くと、終に病源の深く潜蔵してるるところを発見することが出来るとし、その淵叢をば精神分析学の術語でオイヂポス複合体 Oedipus Complex と呼んでゐるのに又妙だらう。蓋し精神分析学者の意見では、凡ベて児童は極めて幼き時は皆自己恋愛性のものである。然かも稍々成長すると、意外に早期から客観恋愛を思じ出す様で、而してその対象となるものは、同性的たる場合もないてはないが、大抵は異性的の様で、男児は母、乳母などより姉とか保姆とか学校女教師とかに、無意識に恋着し、女子は又父や兄に慕ひ寄るのも不思議でない。之れより其処に色々の方向に於て、大小の嫉妬が起り、延いて一家に風波の生じ来るのも亦決して無理としない。特に一夫一妻制のところでは、父母の不和はこれに由つて案外甚しいものがある。而して一夫数妻のところでは、子は大抵母に附く様だが、其処には男子ならば異性的恋慕もあらうし、女子ならば又同性的恋慕も成るだらう。斯くして太古草昧の世には親子間の姦通も案外に沢山にあつたらしく、稍々道徳が進むに伴れて、始めてそれを禁制され出した様である。然り而して既に親子間の姦通頻繁なれば、又弑逆殺害の頻繁なるも自ら当然の事と謂へやう。前掲オット・ランケ氏には「詩歌並に口碑に於ける乱倫姦通の動機」Das Inzestmotiv in Dichtung und Sage がある。

自分は吾が神道の大祓の祝詞に於て、国津罪として己母犯罪・己子犯罪・母与子犯罪・子与母犯罪と数へて乱倫を咎めたるを見て、当時の事情を窺ひ知るに難くないと思つた。とにかくそれを罪としたのは、早く上世に於ても道徳の進歩し、倫理の漸く明に成り行くことを多としなければならない。それと共に仏教に於ても亦逸早く五逆罪を非常に重んじ、所謂三乗の五逆の中には第一に父の故殺、第二に母の故殺を挙げたのも亦これと同様に考へられる。それにしても由来「源氏物語」が乱倫誨淫の書と一部の人から擯斥せられるのも、無理からぬ所もあらう。自分は院本「合邦之辻」を聴く毎に、俊徳丸や玉手御前の身の上に、一種嫌な感じがするのも、その理由は此にあるとする。最近都鄙新聞紙の報ずるところに拠ると、親族間の乱倫な所行や、それよりする殺害などの、愈々多く成る様なのは、畢竟近世的生活に於ける性慾の放埒的傾向に因りはせずやと思はれて、恐ろしい。発狂や自殺のそれから由来するもの少くないのは、固より喋々を待つまい。

斯くて最後に再び阿闍世太子の話に立戻ると、それが如何にフレザー氏の言つた国王父子の関係に太だ近いかは、誰も直ぐ気が附くだらうではないか。自分は未生怨の三字を以て、或は寧ろまだ愛憎の念なり、嫉妬の情なりの十分意識せられざる状態を指示したものだとさへ看たい。韋提希夫人の介抱も面白ければ、頻婆娑羅の幽霊が却つて親切に忠告するなども亦愈々有難いではないか。精神分析学の方では、ハムレットの物語も亦これと同一視する様だが、尚ほ一歩を進めては、基督と聖母マリアとの関係さへ、類推せんとする者もあると見た。