禅宗と性欲問題 ─ 附須弥山説の新解

近頃性欲問題大流行である。性欲問題は元来宗教と最密に関係して居る。従って宗教方面の雑誌も亦苟くも時勢を越ふ以上は、沈黙に附し去る訳にも行くまい。そこで夫の京都は東六条の殊数屋町法蔵館から出る「新布教」誌では、大正十一年度三四両月分を合輯として、「宗教と性欲」と銘を打つて出した。さすがに豪い。道俗緇素諸大家の雄篇傑作数十品を網羅して千觜万紅とは性欲号には似合ひの賛辞であらう。

勿論従来仏教上の用語としては、性欲といふ字面は無いと言はれるかも知らない。否性欲といふ語はあつても、それは第一セイヨクとは読まず、シャウヨクと読む筈で、「無量義経」の中には諸衆生の性欲の不同を知るとあり、「大日経疏」の中には性欲とは積習に名づく、習欲を性とすとあって畢竟過去の旧習が性で、而して現在の楽欲が欲であるとする。併し今日所謂性欲に当る語辭は別にあらう。それについて想起するのは愛欲である。「円覚経」には輪廻は愛を根本とするとあり、「倶舎論」には資具と婬とを貪るは愛なりとある。婬の一字に注意して貰ひたい。然かも又同論の他の部分には妻子等を愛するのは所謂貪愛で、有染汚でなるに対し、別に師長等を愛するのは信愛で、無染汚であると、愛に二種の区別を立てゝ居るとすると、愛欲は広義のラヴと看るが至当で、性欲のセキジユアル・パツシヨンとは、自ら範囲も同じくない。

そこで又色欲といふ語を連想した。併しこれも亦必ずしも今日の所謂性欲と全然同一とは謂へない。「華厳大疏鈔」に五欲として、財欲・色欲・飲食欲・名欲・睡眠欲とある中の色欲は、今日の所謂性欲と思はれるが、普通一般に五欲と謂ふ時は、色声香味触の五官の快楽で、就中色欲は青黄赤白等の銅色又は男女の形色等に愛着するのだとしてある。恐らく此の方が原義であらう。

只茲に婬欲といふ語があって、それが恰も今日の所謂性欲に当ると云へ。「円覚経」に諸世界の一切の種性は、卵生胎生漏生化生皆婬欲に因って、而して性命を正しくすとあり、正さしく婬欲がセキジユアル・パツシヨンたり、レプロダクチーヴ・パツシヨンたることを示して居る。而してそれは甚だ欲るべきものとして、婬欲火だの、婬欲病だの、婬羅網だのと色々書いてある。尤も他の一方では「智度論」などに早く婬欲即是道といふ例の仏教一流の看方もないではない。其処に大きな抜け道があるからをかしい。

斯くて仏教で所謂婬欲こそ、誠に今日所謂性欲であることが明瞭に成つたとすると、余事はさて措き禅と性欲との関係は如何と問うて見たくなる。それには前掲の「新布教」誌に来馬琢道師の「予が見たる禅僧と性欲」との一篇があって、是れ亦至極面白いが、自分は先づマウ少し外の途から観て行かうとした。それは何の事もなく直ぐと六欲四禅といふ事が脳裏に浮んだからである。六欲四禅とは欲界の六欲天と、色界の四禅天とで、四禅は婬欲を離れた清浄の事だと覚えて居る。所謂六欲天は四王天・?(りっしんべん刀)利天・夜摩天・兜率天・楽変化天・並に他化自在天とする。此の六欲天は須弥山の中腹から始つて、次第に上って空中に居るとしてある。即ち地居天と空居天との区別がある。それは自分の性欲的宗教学の新考案では詰り天覆地載で陽上陰下相交れる大々的造化秘戯の形相と看て、やがて埃及の旧伝と相肖たものだと解したい。須弥山は旧説如何に拘らず、実は太古生殖神話の大地崇拝であると断言する。それを真面目に地理学や天文学などの理屈詰にしやうとする者は、愚の骨頂であらう。「智度論」や「倶舎論」に拠ると、夜摩天は時々に快哉を唱ふとある。而して兜率天は喜足の心を象徴したものであるなどは、閨中の秘事を写したものでなくて何としよう。即ち又此等六欲天にはそれぞれ実に奇怪至極の婬相がある事になって居る。それは又「倶舎論」に簡単に一天一語宛で面白く頌語が着けられてある。曰はく六の欲を受くるは、交と抱と、手を執ると、笑と視との婬なりと、即ち第一の四天王と第二の?(りっしんべん刀)利天とは正しく男女形を交へて居るので、それが所謂四?(りっしんべん刀)利交形である。簡して第三の夜摩天は相抱き、第四の兜率天は手を執り、第五の楽変化天は相笑ひ、第六の他化自在天は相視て婬すると云ふのである。従来の解釈ではこれを別々の事とするが、今茲に自分の卑見では、此の六天の次第は全く男女交接の諸階段を順示したと看るが一層進歩したものだと考へる。即ち又四天王は陽で、?(りっしんべん刀)利天は陰とする。その余の四天は心地の移り行く態相に過ぎぬ。マウ小し露骨に説明すれば、四?(りっしんべん刀)利交形して、時々快哉を唱へつゝやがて喜足り、乃ち相笑って自ら楽しかったと云ふと共に、相視て他をして嬉しかったと思はしむるので、兜率天以上は空中にありとの古説も、実は魂が有頂天に上り詰めたところを言ったものである。若し果して這の卑見が当れりとすれば、自分は今現に神戸と大阪との両大都市の中間に卜し、朝々暮々烱靄の裡に、遥に東南四天王寺を望み、近く西北摩耶出?(りっしんべん刀)利天寺を仰ぐとすると、愈々仏教の真味は分ると申さうか。ナンと豪い者だらう。

併しさう言つて仕舞つては、仏教も亦他の野蛮未開の諸宗教と相陳ぶ所がない。それでは有難味が少いとでも思つたのか、其処に早く之れに対して四禅天を立てゝあるので、追々偽善の屁理屈が唱へられる。笑止千万と嘲って遣はさう。四禅天とは何ぢや。四禅定を修して生ずる色界の四天処だと謂つて居る。即ち四禅定は因位で、四禅天は果報である。果報は寝て待てでなくて錬って待てと云ふところぢや。自分は実際それがをかしくて堪らない。四禅即ち四静慮は、第一は初禅で、麁住・細住、欲界定・未到底と次第し、やがて八触と謂って、動痒軽重冷暖渋滑の自ら発することを感触し、又十功徳と謂りて空・明・定・智・善心・柔●、喜・楽、解脱・境界・相応といふ風に成る。それを二禅・三禅・四禅と次第々々に修業を積む侭に、前段のものを呵棄し去つて、不苦不楽となり、一切の楽受を捨て、復憂悔せず、徐に聖胎を長養しつゝ、万法唯一心で、それは猶は鏡のごとく又清水のごとき境界に到り、乃の只意識あるのみで、無念舞想、無熕無熱、所謂色究竟に住する身と成る。それが第四禅天ださうな。

これだけ言つたならば禅と性欲との関係は、十分明に成ったらうと思はれるが、どんなものだ。尤も右述べた四禅天などの禅は、数々引合に出した通り、素「倶舎論」や「智度論」や乃至「天台止観」などの禅で、禅宗の禅が直指人心見性成仏を旨とするのとは、自ら一大相違のある事と言はゞ言へもするが、然かも這裏一道の脉絡に相通じて居る筈で、彼も此も禅定の思惟静処たる丈けは同じである。そこで自分の問題は、坐禅三昧の修錬は果して能く此の性欲の猛火を消すことが出来るかどうかと云ふことである。抑々禅宗の公案に婆子焼庵の話があることは誰も承知であらう。昔婆子あり、一庵主を供養す。二十年を経るに、常に一の二八の女子をして飯を送つて給侍せしむ。一日女をして抱擁せしめて曰はく、正与麿の時如何。主曰く枯木寒厳に倚る、三冬暖気なし。女子帰りて婆に挙似す。婆曰く我れ二十年祇だ個の俗漢を供養し得たりと。遂に追出して庵を焼却すといふのだ。前掲「新布教」誌上に来馬琢道師はこの公案を懸げて、さてこれは公案としては実に立派なものであるけれども、実行するとなると、此の一僧侶の真似さへ却々出来難い。それなら件の僧は如何にしたならば、果して婆子の印可を受けたゞらうか。それは分らないと書き加へてある。琢道和尚は同じ禅家でも曹洞の方であるとすると、それは尚更無理はなからう。昔の一休和尚の話などは陳中の陳である。近世大徳として穆山・黙仙並に元峰の三老師の行状を略述してあるが、是等は多くは老後の事の様に見えて一向に有難くない。それよりは寧ろ坦山の下谷摩利支天横町の破鍋とぢ蓋的俗生活の消息でも書いたならばどうだ。臨済宗にはさすがに多々あるらしいが、何とかいふ鎌倉辺の半可通の生意気管長などは、舌頭に上せ難い。寧ろ故楞伽屈の壮年時代の芳原逸話でも面白く書立てたならば、大に若い者の為になるかとも想はれる。洛南の後家専門道場などは醜の醜と謂ふが果してどんなものか。坐禅で下腹に力を入れて、充血すると一物擡頭制卿し難く、偶々摩すれば即ち愈々立つ、終に染汚することなきかと、問ひ掛けても、ウンさうだと自白し得る者は鮮い。元峰師の水をかけかけ五十年もそんなものだと云へば云へるが、婬欲火は冷水では却々消えさうにない。心頭を冷却すれば火も亦熱からずなどと、胡魔化さうとしても、その手は桑名の焼蛤、諸葛孔明ほどの智慧者でも、雪達摩を抱いて情火を滅却しやうとしたなどは、愚かなる哉と笑つて遣りたい。知らず祖師面壁九年、日々夜々手淫果して何回か。咄。