併し当時自分が宗教学上の立場よりして最も熱心に研究せんとした所は、寧ろ蛇が特に化ける者と看て畏怖し崇敬されて居るのは如何なる理由かと云ふ所にあつた。それは一つは巻舒自在にも由らうが、固よりそればかりでは成らぬ。スキヤッタレラは類人猿が蛇を霊物視するのは、夢に由つて説明して余ある様に言つて居るが、併し猿の方はともあれ、吾儕人類にあつては、蛇の迷信はそれが散々墳墓の冢中に居る事と浅からぬ関係のある事を高調したい。それは支那には沢山言伝がある。例へば「南史」に紀僧真母の喪に遭ふ、塚を開いて五色両頭蛇を得たとあり、又「緯略」に鉢棣県の虞候張坦といふ人が平素暴酷で利を嗜み、病死して城外に●めたが、月余にして夜毎に叫呼の声を聞くので、発掘したところ、身体は已に大蛇に化し、頭だけはまだ人間であつたなど云ふ奇談もある。吾が国では「日本書紀」の仁徳記に蝦夷人が叛いて無礼にも将軍田道の墓を掘つた所が、大蛇あり目を瞋らして墓より出で、蝦夷人を咋ひ殺して死亡多く、唯だ一二人のみ免れたと云ふ名高い話もある。是れは死して護国の鬼となる代りに護国の蛇と成つたものと謂へやう此の冢墳裡の動物の事は素よりスペンサーも夙に注意して居る。知らず類人猿は此の死者化蛇の事実は未だ認識するに至らなかつたのであらうか?。

但し自分は此の冢中の由来よりも、更に別に茲に一家言を出して、夫の蛇類の蛻く事と蟄する事とは共に屹度原始的人民が蛇化の迷信構成に少からず貢献して居るであらうと申したい。而して此の奇妙の事実は又恐らく類人猿にも早く注意せられ彼等の蛇霊観を助成する事が少くは無かつたらしいと想はれる。否々更に最も高尚なる宗教方面に睥を転じて、夫の座禅と曰ひ、解脱など曰ふ観念も極初は暗々裡に蛇の生活と何等か関連がありはしないだらうか。蓋し小蛇の螺旋形にどくろを巻いて其の上に静に鎌首を載せたる所は、暗に一個禅定の形態であり、将又其の飽満し乃至汚穢に染触して忽ち皮殼を蛻去する所は、確に身心脱落を暗示して居りはすまいか。実は自分は当時蛇の巻舒自在の事や咬傷の毒害甚しい事以外に、彼の蛻蟄の事実が何か宗教的意味を以て観らるべしとした記事なり学説なりはないか知らんと想つて、蛇の宗教観の研究を始めたのだが、併し今日迄のところでは座右にある東西いづれの書物にも、左様な事は毫も見当らない様だ。或は斯様な事に夫の博識第一の評判ある南方熊楠君にでも質したならば、何か得る所があるかも知れんが、只今の侭では一個の臆説と謂はれる丈けの価値さへ無いかも知れんのは些か遺憾である。偏に大方の垂教を待つと申して置かう。蛇と性欲の事は今新に補足したところが多い。

以上陳ぶる庸で類人猿は勿論、吾儕人類でも最初は多く蛇の害毒を主とした様に見えるが、併し後の弁才天や宇賀神のそれと全然反対なる授福てふ見方か暫く措くとしても、尚は蛇には色色の功能談もある。特に終りに臨んで茲に一言して置きたいのは、「八幡愚童訓」に和気清麿が道鏡に脛筋を断たれ、放たれて薩摩に流竄の途次、宇佐八幡に参詣したところ、神殿の内より五色蛇這ひ出で、清麿の脛を舐めたれば則ち瘡傷忽ち全癒したと云ふ話も載せてある事です。

御承知の通り西洋では蛇を以て医薬衛生の象徴とする。それはアスクレビウス神(羅馬にてはエスクラビウス)のお使召しとし、其の杖に巻きついて居るのを見ても明であるが、全く蛇は生気の象徴としたものである。其の由来は又一論を要するが、畢竟蛇の容易に死なぬ所に基づ ぐのだらう。さすれば又吾が国で蛇を執念深きものと観るのとも関係はある。約して言はゞ、蛇は生の執着の象徴といふ事に成る。此の事実は又類人猿は注意しなかつたらどうだらう。

尚ほ希臘羅馬の神話ではヘルクレスは手に特別の金製の魔杖を携へて居る。此の魔杖はカヅセウスと謂つて、誰れにでも一寸触れると福を授ける事が出来ると信ぜられて居る。それは三本の枝から出来、就中一本が中軸と成り、他の二本は左右に分かれ立つて、而かも真中で三本一所に結ばれて居る様である。某学者の説では是れは最初は橄欖樹の枝を表して居たのだと言ひもするが、左に右普通は二疋の蛇が一本の柱軸に左右から巻き掛つて居る様に出来て居り、中軸の上端には羽翼が張つてある。而して此処では又蛇は一面用心深いと共に一面怜悧な事を象徴して居るので、軸端の羽翼が敏捷を象徴すると合せて、此の魔杖はやがて又商売繁昌の象徴と看られ、ヘルメス亦商神として崇めらるゝ様に成つて居たらしい。

斯くて希臘羅馬の神話では、さすがにもはや蛇を畏怖し崇拝する原始的境界は遠く離れて居り、将た又嫉妬とか邪婬とか仇とか祟りとか云ふ事からして色々化けて来るなど云ふ話もなくなつて居て、或は智慧或は健康或は商才と、悉く皆其の善益的福利的方面の象徴となり来つて居ることが、宛も今日吾儕の一般に観る弁才天などと殆んど相一致して居る様に見えるのは、太だ妙と謂はねばならぬ。然かも希臘羅馬では三神の蛇的象徴があるのを、此処には弁才天一個の蛇的象徴に集めたものだとすると、更に色々面白く考へられる。(宇賀神の事は暫く一所と見て)講論意外に冗長に流れたが、之れを約括すると、自分は蛇の宗教的信仰は最初は其の巻舒自在と咬傷の害毒恐るべきに基づいて居るもので、是れは早く類人猿中にもあり、又固より吾儕人間にもある。而して吾儕祖先は概ね蛇を開墾耕作の邪魔者としたのは、既に彼等が游牧生活に移りつゝあつた時に著しく感じた様に見える。それから以後稍進歩した社会では、蛇の心理的に凶悪な事が追々高調せられ、或は多淫とか或は嫉妬とか、或は執念深いとか云ふ様な事を喋々し、蛇の祟りとか恨とか謂つて、益々之れを畏怖し崇敬する様に成り、特に蛇の化ける話が多く行はれたが、後にはそれより更に一転して寧ろ蛇を善利の方面に於て之れを観、授福者として崇くする様に成つた。それが今日も猶はある所の宇賀神や弁才天に於ける蛇の信仰で、是は固より類人猿などの想及すべき所であるまいが、併し蛇を心理的で凶悪視する事は必ずしも類人猿では出来ない相談だとは言へない。然り而して又斯く蛇を霊物視する所以は、其の形相挙動并に生活状態の中に自ら求められるが、自分は巻舒自在と共に又其の蛻蟄と謂ふことにも重きを置きたいと考へるもので、蛇を男根の象徴とするのも亦其処に由ると云へば云へる。尚且つ夢説は其の侭として、蛇が冢中動物たる事も亦十分重く視て貰ひたいと思ふ。否更に之れを附加へて、其の水辺に多い事も亦やがて五穀豊稔と関連して考へらるゝ様にもある。斯くて蛇は一面武神であると共に、一面文芸神であり医神であり農神であり商神であるとも観られ、人文進歩と伴うて其の霊的態度の次第々々と進化して行く有様は、実に宗教学上最も大切な標型と謂つて可なりとする。若し夫れから更に一歩を進めて、禅定解脱など謂ふ最も高尚な宗教的信行をも、同じく蛇から導き出さうとする自分の考は、恐しく間違つては居ないと思ふが、一層博く且つ深く調査研究を要すると云ふのが、自分の今度の研究結論である。