凡そ宗教の比較研兇を遣つて見やうと思ふ者は、宗教心の発現たり象徴である色々の物に就いて手を下すべき処は沢山にあらう。宗教信仰の常体である仏像類は固より言ふに及はず、経文呪文も亦其の主要なものであることは明かであるが、それと並べて仏具法器類の事も決して忽にしてはなるまい。否所謂宗教心の象徴といふ上より観て行くと、却つて此の方になかなか意味深長の物があるかの様に想はれぬでもない。仏教の学徒も一つ此方面に注意して貰ひたいと考へるところから、今茲に取り敢へず夫の如意に就いて少しばかり卑見を陳べて見やうと思ひ立つたのである。勿論仏法上の器具としては、此如意よりも寧ろ珠数などから初めた方が至当てあるかも知れぬ。併し珠数は実に余りに一般的である。之れに反して如意は何となく禅僧の持物である様に見ゆるところから斯うしたのである。
偖斯んな様な次第で自分は曾て如意といふものを一個の研究題目としたが、目下は御承知の通り山荘閑居の身で座右に典籍も乏しいところから、先づ何はさて措き「日本百科大辞典」の第八冊を手にして披見した。而してそれと同時に文中に「今禅宗等の僧侶これを手に執るもの深 き意義あるにあらず一の持物となれるなり」とある一句は、軽々看過することが出来なかつた。嗚呼禅僧の如意は果して何等深い意義の無いものであらうか?自分はどうもさうは思はれない。固より是れは僅に一辞書の文句に過ぎないとすれば、格別重きを置くに足らざる事と考へられる人もあるか知らんが、決してさうではない。件の大辞典は専門諸家名々相応に責任を帯びて執筆すると云ふ約束で現に此の如意の項尾にも鷲尾と署名してある。それは申す迄もなく順敬氏の事で、目下著名の仏教史専門家である。自分は平素夙に畏敬して措かない丈け、それ丈け又これを重く視るのである。従つて自分は元来斯んな事には門外漢であるから、鷲尾氏の如き堂々たる専門家に向つて議論を吹き掛けやうなどとは夢にも想はないが、只だ右の一句には何となう同意しかねるので、其処に研究は初められたのである。
ところで又此の研究を進めて行くに先だち、一つ予備条件として考へて置かねばならない事である。それは外でもない、抑々此の如意なるものは果して印度固有の物かどうかと云ふ事である。自分に斯んは疑問の萠したのは、又同じく座右の「仏教大辞典」を繙いたところ、偶「然るに比丘の百一資具及び曼陀羅諸尊の器仗を見るに、如意に類するものなし、蓋し是れ支那に始まるなり」と書いてあるを目付けて、不審を打つたからである。「釈氏要覧」の道具篇には、如意は梵に阿那律と云ひ、秦に如意と言ふとある。従つて鷲尾氏亦之れを承けてか、梵語に阿那律といふとし、其の下にAnuruddhaと註して居られる。自分は素より梵語は知らないが、既に此の阿那律の語があるとすると、「仏教大辞典」の説は怪しくなる。是れも何も故人に成つた織田得能氏を今更にとやかう追撃せんとする訳ではない。只だ当代斯道の大家南条高楠両博士の監修、別して梵文は高楠氏の校正といふ様に聞き及んで居るからである。是れは屹度十分に調べて見たい。尤も鷲尾氏も亦「道家の説によれば、仏教伝来以前に支那に如意あり、秦の始皇帝は白玉の如意を用ひたりとす。呉の大帝の時、地を掘りて銅匣を得長さ二尺七寸あり、これを開けば白玉の如意あり、孀蝉等の形を彫刻す。大帝これを胡綜に問へば、乃も答へて曰はく昔秦の始皇帝東遊し、金陵に王者の気あるを以て、諸山崗を穿ちて宝物を埋め、王者の気に当てたり、今掘りて得られたるものなり云々」と書いてあるが自分は所謂道家の如意なるものが果して秦始皇帝の時、則ち仏教東漸以前に夙に存し、仏教のそれとは全然独立した起原の物と看るのは、少々眉に唾する丈けの用心は無くてはならぬ様な気もする。