二(斯くて仏教諸宗派の中何故に禅僧が特に)

斯くて仏教諸宗派の中何故に禅僧が特に如意を執るのであるかと云ふ事から考へて見やう。是れも「古事類苑」の宗教部に由つて孫引的に材科を集めたのであるが、それは目下の事情予め勘弁を乞ひ置くとして、その中に「諸宗階級」の曹洞宗出家転昇の次第の記事を援いて「一如意之事、凡宗師たる者為人教化講教諸禅等之時、横に拈じ竪に用ひて、仏陀の極致を指示する之道具也。唐宋以来支那日本に禅宗の祖師多く是を護持す、他宗には稀に用るもあり」と見えて居る。俗文変挺だが、併しこれで此の器が如何に禅家に大切であるかは分かる。是れは曹洞宗の事だが、臨済宗とても亦固より大差はあるまい。その中に用ひて仏法の極致を指示するの道具なりとある一句は、誠に有難い。自分の今度の研究も畢竟は此の一句を究明して見たいから起つたのである。知らず如意が何で仏法の極致を指示するのであらう。

自分はそれよりも先づ諸宗中禅僧の特に之れを用ひるに就いては、禅家には所謂問答が今猶ほ盛に行はれて居るからであるとしたい。曹洞宗の方は或は既に己に何事も多く形式的と成り了つて、真意は消えて居るなどと云ふ者もあるかも知らんが、それにしても問答の体裁は矢張り堂々たるものである様だ。他宗にも論議とか会読とか略ぼ同じ様な性質のものもあるが、恐らく禅家の問答には遠く及ぶまい。尤も昔からの画像や何かを観ても、達摩大師の持物は払子でありて、如意ではない。如意は維摩居士にある。是れも考へて見ねばならぬところである。「古事類苑」の「顕密威儀便覧」の下には聖宝如意の事を掲げ、それは背に五師子を刻み、向に三鈷杵を離れり、顕密兼学を表すなり。暦世伝授して東大寺の東南院に在り、興福寺の維摩会の講師は必ず此の如意を執り、以て演唱に応ず。両寺事ある時は東大寺如意を出さず、若し如意無かりせば講会を罷む。是に至つて朝廷東大寺に勅して如意を出させ法事を行はる。其の秘重是の如しとあるにても分からう。

併し何もそれは維摩会には限らぬ、仏教以外の大学に於ても、亦講論の際は如意を執つた事は「延喜式」にも明に見えて居る。即ち第二十巻の大学の部に於て、講論の条下に、左の文がある。分かり易い様に書下すことにするが、曰はく升堂講座に就き訖はるとき、執読所講の経を 読み、執経義を釈し訖はるとき、寮の官人如意を執つて授く。若し天子幸せらるれば頭執つて皇太子に授け、允大臣少下に授け、属侍講五位以上及び諸博士官人学生等に授く。疑を問はんと願ふ者は、受けて興進し、論義座の南に詣で、立つて官位姓名を称へ、再拝して座に就き、疑ふ所を問ふ。執経これが為に通をなし訖はる時は、如意を置いて退いて本座に還る。諸侍講者次ぎを以て問難すること、皆上儀の如くすと。是れで見ると講論々議の席で質問者が如意を持つて進んだ様である。何となく今日神前の拝礼に、巡次玉串を取つて進むと云ふ趣がある。而して又支那の方では例へば「釈氏資鑑」の五に、周の顕徳三年五月、武帝邑道士張賓等の妖言に惑はされ、黒衣の讖を悪む。乃も偏に釈教を廃せんと欲し、沙門と道士とに命じて其の優劣を弁ぜしむ。且つ云へらく長を留めて短を廃せんと。裏城公何妥自ら如意を行く。座首少林寺の行禅師発憤して起てり。諸僧止めて曰はく、師は仏法の大海たること衆咸仰ぎ知れり、末座をして対揚せしむべしと。共に如意を推して智●(火偏に玄)に付せり。安祥にして起ち徐に論座に升る。座定つて如意を執り、張賓を折きて理屈せしむとあるのを、右の「仏教大辞典」に引いてあるので見ても、いよいよ論議に如意を執ることは分かる。但し此の文では矢張り質問者が如意を執るらしい、応答者はどうして居たらう。それに就いては色々附説すべき事も無いでもないが、何はともあれ是れで問答の盛んな禅家に如意の多く用ひらるゝ由来は別に疑ふを須ゐまい。

併し実際自分が此の研究に於て問岨とするところは、それより向ふにあると云ふのは、何故に論議問答に斯様に如意を執るのだらう?それが分らないと、只だ一足飛びに直に仏法の極致を指示するの道具なりなど謂つて済まして居る訳には行きかねる。そこで一体マア此の如意は何だらうと云ふ穿鑿に成つて来る。これについては例の「釈氏要覧」が最も詳に説いてある。是れも同じく文を訓読的に書き下さう。曰はく「指帰」に云ふ、古の爪杖なり。或は骨角竹本を刻んで人の手指の爪を作る。柄は長さ三尺許なるを可とす。或る背庠きことあらば、手の到らざるところに用ひて以て掻抓すること、人の意の如くなり、故に如意と曰ふと。此の爪杖の説は最も普通に行はるゝものであつて、宛も夫の麻姑手と称する背を掻く道具の如く看做さんとするものである。是れも一理ある様ではあるが、どうも感心し難い。第一如意と云ふ語がそんな卑近な狭少な意味に用ひらるゝとも解せられない。元来仏教には如意と云ふ語の附いて居る名辞は少くない。如意珠といふがあり、如意珠王とか如意珠身とか熟し、如意足、如意瓶より、更に進んで如意輪に至つては、観音薩陀の御名となつて、尊厳格別である。併し執れにしても珠とか足とか瓶とか輪とかその品彙が示されてあるに、此の背掻きの道具に限つて単に如意とばかり謂ふのは、変なものであらう。それは論議問答に何故に背を掻く道具を携へるのか太だをかしい。

そこで、又「釈氏要覧」には更に一歩を進めて、左の通り言つて居る。誠嘗て釈経の蔵通梵大師清沼、字学の通慧大師雲勝に問ひしに、皆云へり、如意の制は蓋し心の表なり。故に菩薩皆之れを執り給ふ。状雲葉の如し。又此方の篆書の心字の如き故あり。若し爪杖に局せは、只文殊の如きも亦皆之れを執り給へり、豈に庠を掻くことを欲せられんやと。斯くて如意の頭壮を心の表象と見るのは自分も敢て面白からずとしない。若しさうならば仏心宗の禅僧が特に之れを珍重するのも亦更に大に理由のあることゝ成つて来る、巧妙と謂つて可ならん。併し自分はそれも後世の解釈で、決して原義ではあるまいと思はれてならぬ。

否「釈氏要覧」には別に又第三の説を挙げてある。曰はく又云ふ今講僧の尚ほ之れを執るは、多くは私に節文祝辞を柄に書いて怱忘に備ふ。要するに時々手に執り、目に対すること、人の意の如くなるべし、故に如意と名づく。俗官の手版怱忘に備ふるを笏と名づくるが如しと。是 れも一般に行はれて居る説の様だが、どうも自分は是れ又一種の利便に用ふる迄で、それが論議問答に如意を執る本来の理由とは考へられない。今日でも学校の試験などでは、或は墨池の蓋や、或は定木の表裏や、或は名刺の端や、或は机卓の面や、或は自身の掌腕などに、何となく心覚の事柄を私に細書して出席し、カンニングを行ふ者が往々あるのを発見するが、さりとて墨池や定木や名刺や机卓や乃至白身の掌腕などが、備忘の道具だと謂ふものはあるまい。尚ほ笏に就いても通例は右の様に説き来つて居る様であるが、自分は竊にそれには不同意であると断言したい。