其処で自身は広く世界の宗教と比較して、その説明の端緒を発見しやうと試みた。而して第一番に注意を惹いた事は、夫のファリシズム則ち陰茎崇拝で、石棒などと或は其の根元を一にして居るものではなかもうかと考へ附いた。是れは確に卓見の積であるが、暫く其の儘にして 進んで行かう。
乃ちそれから、転じて又是れは基督教の十字架の類ではなからうかとも考へ出した。その順序は夫の加特力教の僧正の突いて居る杖からフト気付いたのて、アレは仏蘭西語ではクロツスCrosseと謂ふ様だが、英語の十字架のクロッスとは素より意味が違つて居り、英語ではクロジ アルCrosierと謂ふ様である。但し語原は矢張り一つかとも思はれる。而して第十三世紀頃よりしては杖頭の彎曲した物と成つたが、それより以前は杖頭に十字架の附いたのを持つて居たらしい。或は両者余然別と云ふ説もある様だが、自分は今はさう考へない。両者執れにしても 僧正監督の権戚を表示するの具と見る方に賛成する。斯うすると十字架の漸く変じて頭の彎曲して杖と化する径路が認められる。
然らば又十字架なるものは太来何ものであらう?と問ひたくなる。否こんな事を言ふと、そんな分かり切つた事をば反復喋々する暇は無い。十字架は耶蘇基督が磔刑に処せられた柱である、耶蘇基督は斯くして吾儕の罪咎ある人間の為に身代となり、贖罪したから、耶蘇基督を篤く信ずれば、必ず救済せられ、現に耶蘇基督自身は十字架上に剌し殺されて、而かも墳墓の中に復活し昇天した事は、彼の教徒の今猶ほ皆爾く信じて居るところで、やがて十字架は死の表象ではなくて、命の象徴であると謂はれ居るではないかと、言ふ者もあらふ。
それは一応はその通りであるが、併し自身は固より只だそんな通説一片を以て満足閉口して居る訳には行かない。若し極端迄押し詰めて行つたならば、自分は所謂耶蘇基督その者に就いても或は是れは何か一個の象徴ではないかと想はれる点も少くないと考へて居る。従つて十字架に就いても早く己に或は太陽の光線を象どつたものであると云ふ説もあり、或は陰茎の象徴であると云ふ説もある位の事は、誰も耳にして居られることを信ずる。然り而して自分は又実にそれとは別途に、此の十字架の崇信は遠く埃及の故俗に出でて居るもので、偶々耶蘇基督の 磔死と(若しそんな事もあつたとするならば)いつとなく混淆融和し、或は寧ろ牽強附会して、今日の基督教の信条と成つたのだらうと考へて居るのである。
蓋し埃及では誰人も承知の通り、死人の復活を信じ、木乃伊に作りて、永く大切に保存するほどであるから、復活の護符と謂ふ様なものゝあるのは当然で、それには命の樹と呼ぶ樹木の幹枝の形状を作つて、死屍の胸上に懸けて埋葬したらしいが、其の樹状はやがて追々省略し変形し象徴化して、一本に左右平等に三枝を出すものとなり、二枝を出すものとなり、終に一本一枝の十字架に成つたものてある。而して此の樹形力至十字架形の護符は、死屍に力を与へ、生命を賦して、やがて復活させるものと信じられて居たらしい。此の事は自分は曾て英国倫敦に遊学中、夫の大英博物館に出入し、埃及部に於て幾個も実物を観察し、説明を聞いて熟知し、而かも一面には基督教の十字架なるも亦昔よりして必ずしも今の如き簡単の形にあらず、一本三枝一本二枚、その外種々雑多の復雑なる形状をしたものゝあることを承知して居るからである。乃も此の埃及の昔の命の樹の護符が基督教の十字架と成り、その十字架を僧正の杖頭に附けたものが漸く変じて単に頭の彎曲した杖に成る径路から考へると此の方の如意の濫觴にも亦どうかかうか遡尋すべき手続を得はしないだらうかと云ふのが、自分の研究の今進行しつゝある順路の一端である。勿論自分は決して仏教の如意は基督教の十字架から出たなどと、そんな乱暴な説を主張する者ではない。それは万一の誤解を虞れて、茲に明言して置くことにする。
尤も是れ丈け言つたのでは、杖といふ事に就いての説明がまだ出来て居ない様に思はれる。由つて更に一歩を転じて、その方の研究に取り掛かるとなると、それは実は早く己に先輩が十分遣つて居ることが知れる。今茲で自分が先輩といふものは、誰あらう夫の考古学的人類学の大家フレザー氏である。フレザー氏には既に「アドニス・アチス及オシリス」Adonis, Attis and olrisなどを始めとして、色々有益の著述が沢山あるが、同書の中に於て氏は夙に魔杖といふ事を説いて居る。それは古は帝王といふ側の人は同時に魔術師で、魔法を使ふ事を能くした者である。而してその為に天神といふ風の在上者より、杖を授けられて携帯して居る。それが所謂魔杖で、やがて又横威の標識として神聖犯すべからざる事を示すものである。現に埃及にも第四王朝の終頃には開口式と謂つて引導をわたす様な儀式が行はれ、その道具として斧形の杖があつた。然り而してフレザー氏は後世の笏と謂ふものは素此の魔杖の残りであると云ふ議論である。尤も西洋で笏と謂ふのは、吾が国のそれとは形を異にし、寧ろ杖の様な細長い棒であるが、それにしても夫の如意は素是れ一種の杖であつて、それが短く成り色々に変形したものであり、笏なども亦現に僧堂で用ひて居る夫の警策などいふ一種の杖の更に切り縮められた形のものだと看れば看られもする。乃ち自分は茲にフレザーの魔杖論を取りて、如意並に笏の起原を説明するは困難でなからうと想出したのである。それが既に魔杖に出て居るとすれは、実に何事も意の儘に成もといふ意味で、如意と呼ぶのだと解しても差支あるまいと考へ、それを威儀の一要具とする訳も何の雑作もなく釈けると思ふが、どんなものだらう。而して又それが仏教と別に独立して道教の方にあつたとしても、宗教進化の上より観れば、必ずしも不思議ではあるまい。尚ほ此の事は必ずしも臆測を逞くして速断する訳では御座らぬ。現に前にも一寸申し置いた夫の東大寺の聖宝如意には、背に五獅子を刻み、面に三鈷杵を彫つてあると云ふので も察せもれる様に、何でも非常に威力の有るものとしたらしい。其の如意を維摩居士に持たせるところから、いつとなく又講論問答に問者答者なども之れを執る様に成つた所もあり、又一つには威儀を堂々と掲示して、而かも神明仏陀の加護の下に利器を持ち、魔力を振つて他を屈 服せしめやうとする積りもあつたらう。
否自分は此のフレザー氏の魔杖論を尚ほ一層広く適用して、錫杖は勿論、払子にも乃至独鈷三鈷五鈷の金剛杵の起原をも説明しやうと考へて居る。錫杖が只だ杖であり、払子が只だ塵払であり、金剛杵が只だ兵器であると云ふよりも、それは皆各々一種の魔杖であると謂つた方が遙に其の本性を説明するに都合好からうと想ふのである。知らず命の樹と謂ひ魔杖と謂ふもの又実は一種フアリシズムではなからうか?因にこの論文と相前後して「六合雑誌」の上に賀川豊彦氏の埃及宗教に関する一篇見ゆ。参看を勤める。