一(「古事記」は吾が国現在の最も古い書物で、)

「古事記」は吾が国現在の最も古い書物で、太安麻呂が元明天皇の和鋼五年に撰述して上つたものだと伝ヘられてゐるから、今大正十一年迄で千二百十年になる。成るほど古い事は古いに相違ないが、これを支那・印度・埃及・希臘・猶太などの古典に較ベると遙に新しい。それは最近一部の学説では、古伝とは云ひながら、主として奈良朝盛時の国体観念を指導原理として出来てるると見られて居る。然りそれは又神道家の立場からは、一大神典と崇めるに不可はない。併しその多分は既に神話であるとすると、これを今日世間一般の神話学で以て取扱つて行くには格別の不都合はない筈で、それは彼の国に於て聖書の夙に高等批評を受けつゝあることを思つて見るが好い。国体の淵源たる神勅などの事は、固より畏ければ言はずに措かうが、天地開闢国土経営という一大神話として、多少の研究を加へるのは、固より決して冒涜の所為とは謂へなからう。否本居一流はともあれ、平田一流には早く随分思切つた説もあるらしい。乃ち今茲には同古読過の際に気付きたるところを摘記し、将来研究に志す人々に暗示を与ヘたい。未定意たることは予め断り置く。而して一々旧説と対較するだけの暇はないのを遺憾とする。

偖「古事記」を繙いて先づ目に付く事は、天地初発の時に高天原に成りましし三神、即ち天御中主神と高産巣日神と神産巣日神との事である。之は後世の宋学者などに言はせたならば、太極と陰陽二儀の様にも見えやうが、併しそれよりも陰陽二霊と謂つた方が正しい。産巣日は産霊の事だとすると、早く其処に二種の産霊があつた様で、二種の産霊と謂ヘば、どうしても陰陽生殖上の二霊と看る外あるまい。尤も三神中御中主神の事は、其後者中に何等の記事は見えて居ない様だが、高産巣日神も神産巣日神も数々現はれて来ることは、大に注意を要する。即ち高産巣日神は高木神と呼ばれて、頻に天照大御神の議に参じて豊章原瑞穂国の征服を計画されて居る。而してその子が思金神だと云ふことに成つて居る。又神産巣日神の方はその子に少名毘古神があるとすると、何だか一方は高天原族で、一方は出雲族の様にも見える。産霊に始めから二つあるのは、或は両民族の事を相並ベたのであらうか。産霊と謂ふ様な者が直に評議に与つたり何かするのは愈々変で、或はトーテムで以て一個の巨族と成つたのとでも解しやうか。何しろ後世宮中の御祭にも主として此の両産霊を崇めもれた様だとすると、造化神として看る外はない。

次に天之常立神と国之常立神と、これは天と地と剖判して出来たので、而して天のかに宇麻志阿斯訶備比古遅神があり、地の方に豊雲野神があるのは、寧ろ右両立神の別名なのではなからうか。天神七代は只是れ天地陰陽主宰神の諸方の異名を列挙したとの中田博士やらの所説は太だ面白い。本居氏などの旧説は暫く措き、男神を宇比地邇命と云ひ、女神を妹須比智邇命と云ふ。ウヒとスヒとに早く男女婚媾の態は髣髴して居りはせずや。男神を角杙神と云ひ、女神を妹活杙神と云ふ所に何となく陰陽生殖器の象徴は見えずや。自分は別して角と杙との字に着 目した。而して最後に伊邪那岐命と伊邪那美命と謂ふは誘ひ合ふ義かの説も如何あらう。