それはそれとして天地剖判の時より此の所に至る迄は、全然一夫一妻である。然るに須佐之男命よりは又頻に異なる美人を娶られた様で、此処に男性の権力は太だ強くなつたらしく見える。櫛名田比売を初とし、神大市比売あり、木花知流比売あり、此の二女は共に大山津見神の子で姉妹である。而して此処の伝では、大穴牟遲神は須佐之男命の五代の孫に当る様だ。
大穴牟遲神には五名あるが、本名は大国主神である。その兄弟八十神あつたとは、一夫数妻の効果思ひ遺られる。而して此等八十神が皆悉く稲羽(因幡)の八上比売に婚せんとするのも面白い。何となくポリアンドリーらしい所があると謂はうか。此処には動物神話の色々好材料が集つてゐる。和邇(鰐にあらず鱶か鮫の類だらう)あり、兎あり、●貝や蛤貝もある。又赤猪も出てゐる。蛇と蜈蚣と蜂と、さては鼠まで、実に雑多である。若しその生殖神話のまでの性的象徴を言へば、和邇は魚として女性であらう。兎はそれに対して耳の立つてゐる所から男性と看られる。猪も亦例の鼻で頗る男性的であるが、貝類は此処には両種共に比売として、女性化してあるは当然だ。蛇は男女執れかと云ヘば、男性に視る方が多い。蜈蚣と蜂とはまだ考へないが、強ひて言ヘば女性の方に附くだらう。鼠は多産たるところ、どうしても女性と看なければなるまい?
一夫多妻の中で妻の正嫡を立てることは、大穴牟遅神の時から見える。即ち須世理毘売が嫡妻でムカヒメと呼んでゐる。この姫は須佐之男命の女となつてゐると、須佐之男命といふは一大豪族の世襲名称と看る外なからう。そこで宇賀能山の山本に宮殿を構ヘて、夫婦同棲したので、底津石根に宮柱布刀斯理、高天原に氷岐多迦斯理といふ営造結構の形容は、やがて又男女相重なり、男子の威容旺盛押し開き行く勢のあることも示すに足らう。布刀は太くといふ事、又氷木千木は同物でVの形とすると、即ち男根と女陰には当らずや。神名の考証は蒼蝿いから 略することにするが、只甕主の名疊出してゐるのは、文明史上から観て一寸注意に値しよう。
大穴牟遅神と少名毘古那神と兄弟と為つて、此の国土を経営せられたといふ。この兄弟の字に目を着けて、其処には早く回姓婚媾があったと見るのは、稍々過ぎた事かも知れない。それよりも大穴牟遲神と嫡妻須勢理毘売命と、嫉妬から言ひ争うて、夫婦喧嘩の仲直りに酒くみ交はしつ、即為二宇伎由比一而宇那賀気理弖、至レ今鎮坐也とある一節は、或る穿鑿を要する。宇伎由比は盞結なり、宇那賀気理は項懸なりと傍註がある。宇那賀気理は或は然らん、詰まり頸を抱擁することとも、又肩に倚り懸ることとも解ける。只宇伎由比は或は寧ろ接吻の事と看たらば如何とは、西洋風に触れた想像に過ぎるだらう。それよりも現に台湾の土蛮中に行はれる飲酒の作法がそれだらうと云ふものがあるは面白い。
さて次第々々に読み下つて此処迄来ると、大和の御諸山の上に坐す神は、大国主神の和魂大物主神ではなくて、大年神でもある様に見られる節のあるのは、一寸まごつくだらう。それはそれとして大国御魂神の名が此に始めて見えてゐるにも注意を要する。言ふこゝるは国土そのものに生殖繁殖の魂があると云ふ思想が明に成つて来たからである。然り而して此の大国御魂神は実に大年神が、神活須毘神の女伊怒比売を娶つて出来たのだとする。活須毘神は何となく天地開闢の初に於ける、妹須比智邇神の名を連想せしめる。又伊怒は怡土と似通ふところがある。而して大国御魂神の弟に韓神があるのも看過し難い。聖神も妙だ。竃神は奥津比売又大戸比売神で女神であり、それと共に大山咋神は鳴鏑神で男神であるのは不思議はなからう。只此の両神の弟神に羽山戸神があり、その羽山戸神が大気都比売神を娶つて、若山咋神外七神を生ませたのと云ふのは、空谷跫音の感がある。山は男性たることは違はない。羽山は端山で山麓であることは喋々を待たぬ。即ち羽山戸神と大気都比売神との婚媾は、これを文化史上より考察すれば、農耕の途漸く進みて、山麓高原の上迄も開墾され行く跡を認めることが出来る。現に此の両神の間に生れたる諸神の名を一瞥すると、若山咋神を首とし、その次は若年神、次は妹若沙那売神といふは、何となく新春より初夏に及ベる季候を象徴したらしく、沙那売神は或は早苗女早乙女をも連想せられんでもない。その次は弥豆麻岐神は、撒水或は配水である。而して夏高津日神又夏之売神あり、秋毘売神あり、盛夏三伏の炎天より漸く秋季に入り、次ぎに久々年神あり、久久紀若室葛根神がある。久々も久々紀も共に何となく区割の意味がある様で、〆括る事と見られ、若室葛根は又自ら冬蔵の状態を髣髴せしめるものがある。本居氏の久々は茎なりとは如何あらう。又夏秋あつて春冬なしと云ふにも同意し難い。