八(以上は「古事記」神代記中の最も古き部分にして)

以上は「古事記」神代記中の最も古き部分にして、言はゞ天地開闢国土創成の神話である。而 して以下は同じ神代にしても稍々新しく主として国体の淵源を叙説したものと云へる。従って 其処には万物繁殖人類生殖を象徴したと見らるべき神話は漸く減少し行くのは、当然で、自分 も亦万一神聖冒涜の譏を憚り畏れて、多く言ひたくない。天若日子と下照比売との関係、さて は雉名鳴女の事などは、随分面自い考も出るだらう。現に婚礼の式場には、鄭重にすると蓬莱 の台を飾り、其処に雉や鯉を置く様である。各々一対であるが、雉は新夫の側、鯉は新婦の側に据ゑるのは如何であらう.尚ほ祝膳に鰭吸物は古の比礼を連想せしめずには置けまい。熨斗は元来はノシアハビと謂って、鮑を以て作ったものである。鮑は夙に女陰の象徴と看られてゐることは、、喋々を待つまい。而して大根は之れに対して固より男根を代表したと云へる。里芋は子の多きを取るか。昆布のよろこんぶ、勝栗の勝利は敢て不思議はないが、然かも毘布は古語は〆で、女性であるとすると、勝栗の方は男性に附けべきか。或説に栗ははじけ割れるところを主眼とし、而かもそれは女陰の象徴であること、桃と相比すべきであると云ふのも、捨てられない。餅も亦搗いて拵へるところに注意すべきだなどと云ってゐる。勿論式場に於て床の間に齋き祀るのは、たとへ絵像は懸けなくとも、素より諾册二神と看なければならない筈だ。 一寸話は余談に渉った様だが、天孫降臨の際に於ける国神猿田毘古神の事も亦一言せずには 措けないだらう。この神の事は蘭領南洋諸島の中に、極めて鼻の長い猿猴の一種族があり、而かもその形したものが土人の祭礼の行列中でも、亦同じく先頭に立つ事を、自分は曾てアムステルダムの博物館の陳列品中に観て、吾が鼻高面と思ひ合せて、太だ奇妙に感じたことがある。併しそれはそれとして、此処にはその長鼻が又確に男根象徴を偲ばせることを一言する。鼻高面即ち天狗の面とおかめの鼻の低い面と並び懸けることは、全く陰陽の表示である。勿論おかめは天宇受売神である。而して這の女神が当初特に命せられて、国神猿田毘古神と応接したことにも、屹度注意しなければならぬ。猿田毘古神先きに阿邪訶(浅賀か)に在って、漁魚の際、比良夫貝にその手を咋はれて、海中に沈溺したなど云ふのも面白い。道祖神は猿田毘古で、而かもそれは賽神であり、数々石棒を以て神体とするものをも見受けられ、延いて男女契縁をも祈り幸の神とも称せらるれど、皆右の鼻に関係して看たならば思半に過ぎやう。但しこれには別論がある。

天孫やがて木之花佐久夜毘売を入れて、而かもその姉石長比売を逞し玉ひし事、さてはその 御千日手幢々手見命の海神の宮に遊びて、その女豊玉比売を娶られたることなど、色々あれど も今は一切省略に附さう。。而して欄筆に臨みて自分は斯かる研究を企りるには、朝鮮古語、アイヌ語その外広く東方諸国語の知識乏しきことを耻ぢ、将来の学徒たる者は何卒先つ此の方面に意を用ひんことを勧めたい。本居一流の旧釈が永く学界の信用を維持しようとは想はれない。然り而して土俗の知識も亦一層増殖しなければならぬ。台湾生蕃ツアリセン族などでは、民屋の軒の横木の両端に往々男女両性局部を浮彫にして、それに多少の色彩を施したのさへあると聞いた。