一(凡そ何事も今の世の進んだ眼で以て、)

凡そ何事も今の世の進んだ眼で以て、昔を論じたならば、それは多分は当代事物の真相を穿 つことば出来なからう。例へば娼婦の如きも、今は一般に頗る劣等視する様であるが、昔の遊 女は固より決してそんなものではなかつた。従つて娼家妓楼なども、早く悪所と謂はれながらも、左迄不浄不潔の場所とは思はれず、楼主も古の長者の名残で、実際は却々戚張つて居た様にも見える。さうして見ると、神社仏閣など神聖の浄域たるベき筈の場所に、淫風が盛んであったとしても、少しも差支はなからう。否暫く神道の方から言ったならば、それは生々主義であり、却つて繁昌の兆と祝ふことか知らぬ。俗諺に日の本は岩戸神楽の初より、女ならでは夜が明けぬ国とは、穿ち得て妙である。乃ち此等諸神社の賽客は、啻に子孫繁殖の幸福を祈るばかりでなく、又自ら賑に陽気に大騒ぎをして、浩然の気を養ふことが、益々神慮に協ふ次第と考へて居た様である。

仏閣の方は素よりそれとは大に意味を異にして居る筈だけれども、折角の邪婬戒も実際はど れ程厳重に守られたことやら、たとへ女色を斥けたとしても、男色を好愛した事例は多々ある から、をかしい。仏教諸宗派の中でも、密教や禅宗の寺院と関連して淫風が競ひ起つたことは 今尚ほ着々証拠が挙げられる。又浄土門特に真宗は元来無戒を特色として居る程たから、昔は 随分風俗紊乱の事もあつたらしい。甚だしきは所謂悪人正機の事を曲解して、わざとしたもの も多々あつたらう。本願寺三代の宗主覚如の子として学殖あり才気のあつた存覚の「破邪顕正 申状」の事には、「念仏勤行のついでに、仏前にして親子の義を存せず、自他の妻をいはず、たがひにこれをゆるしもちゐるよしの事」といヘる非難を破したものがある。実際その頃は念仏勤行の場合には、男女同席を禁ぜよとの沙汰は数々あつたらしい。その女と謂ふ中には又尼が多かつた様だが、そんな姿の如何などは問はなかつたものと見える。

真宗以外にても寺院に大黒を蓄へ、酒色を縦にした事は何も明治維新後の宗風頽敗の結果ばかりではない。宝町時代の禅風隆昌の時にも、そんな習俗はあつて、当時はそれをば喝食とも呼んで居た。喝食は男女共に年少の容色太だ美なものを択んだらしい。大黒はやがて喝食の隠語だらうといふ説がある。何はともあれ文明年間であらう万里周九の著した「梅花無尽蔵」な どの中には、五山僧侶の手に成つた大黒の賞讃の詩は太だ多い様だ。これは決して自分一人の 僻見ではない。学者間では夙に周知の事と謂つて然るベした。固より当時普通一般に大黒天の 崇拝が大に行はれて居たことは、贅辯を待たないことゝ信ずる。而してこれは自分独特の見解 だが、上文にも陳べた様に、大黒天の崇拝なるものが又何となく一種の性欲的象徴である様に 思はれるとすると、愈々妙だらう。因に成る地方では昔から早く蓆敷といふ隠語もあつたさう な。