夫れ然り、自分は吾が国に於ける娼婦の起源を以て、その全体とは云はない迄もが、少くとも 幾分は屹度神社仏閣、特に神社と最も親密な関係のあつたものと考へたのである。学間的に説述すれば、吾が国にも亦屹度所謂宗教的行娼の習俗が曾てあつたことゝ思はれる。知らず宗教 的行娼とは何か。これはレリジアス・プロスチチューションの訳称で、又神殿的行娼即ちテンプル・プロスチチユーシヨンとも云ふ様だ。古今東西到処にこれがあつた事は、例のフレザー氏を始として、欧米学者の文献が多々ある。否それは必ずしも女子ばかりとは限らず、男子で以て之れに似たことをした者も往々にある様だと云はれて居る。
凡そ此等の習俗に関する記事で最も古いものはと云へば、へロドツスのそれを挙げるのが通例である。即ちその言ふ所に拠ると、昔バビロニアでは、苟くも女子たる者は、一生に一度は自らミリツタの殿堂に詣でて、其処に座を構へ、やがて知らぬ他人が来て、その堂の中に一片の銭貨を投げて呉れる迄、静に待つて居なければならぬ。而してその人にはその時に身を委ねなければならない。これは実に神に対して尽くすベき重大の義務で、一度この義務を果した上は、永く貞操を持して行くのである。ミリツタは即ちイシュタールで、これは女神であり、大地の生産力を象徴したものだと云はれて居る。それで以て此の奇妙なる習俗の由来も略ぼ分からう。寧竟造化繁殖頌賛の一行為である。又フエニシアの一部たるビブロス地方では、苟も女 子たるもの、その頭髪をアシュタルト神に捧げることを拒むならば、一定の祭日に於て、その 身を一人の知らぬ他人に委ねなければならないと定められてゐたさうな。これも亦大に面白い。蓋し頭髪が女子に取つて最も大切なものであり、最も神聖なものであつて、殆どその生命なり心魂なりを代表するものであるとしたことは、古今東西にその例が多い。吾が邦では特に然りとする。従つて又それは一種の魔力を有するもので、咒術に用ひられ、誓約に用ひられた事例は、独り神功皇后の記事にあるばかりではない。
右は女子結婚前の一必要条件として、神前に知らぬ他人と一夜その床を共にしたことなので あるが、特に知らぬ他人を云々するのは、エキソガミー即ち種族外結婚の遺風だらうと云ふ説 は、自分も亦恐らくさうであらうと考へる。そこで又之れとは別に年頃に成ると水上げをする風のある所も彼処此処にある。それは固より末永く夫として嫁して行く男子に由つてせられるのではなく、又してはならぬ。蓋しこれは古の雑婚の遺風で、斯くして先づ一人前の女子と成り種族の一員として、共有と成ったことを証明せん為だと云ふ説明も尤もらしい。而して多くの場合では、その水上げの面倒なる任に当るものは、神殿に仕へる祭司僧侶の輩であつたことに想像に難くない。それは全く神の代理としてゞあったものと見える。尤も或所では実父自ら斯の任務に当つたこともあるらしい。欧州にはドロア・ヅ・シニヨールと云ふ事がある。直訳すると旦那権とも云はう。貴族の荘園の主公が、その園内の女子で新に結婚せんとする花娶には、先づ一度性交を試み、而して後始めてその夫婿に対すと云ふのである。語を変じて云へば、執れの場合もすべて新郎は先づ新婦を他人の自由に任せて、それで以て将来の独占権を許されたのだと看ねばならぬ。所謂初夜権も亦それである。