五(併し自分はそれと共に又吾が国にも、矢張り)

併し自分はそれと共に又吾が国にも、矢張り神殿行娼様の事があつたのではあるまいかと、想像すること良久しかったが、今は幸に之れを裏書すべき証拠を挙げられる様に成つたから嬉しい。先づ仏閣の側から行かう。それは従来吾が国遊廊の根源の様に看做されてゐた江口では娼婦の第一祖は実に観音といふ名であり、その後にも亦小観音と云ふものが有名であつた様だ。 而して此の観音は誰あらう、その近村の野崎の観音の化身だと伝へられて居たからである。観音が遊女に化けるなどは、何だがその神聖を冐潰する様に思ふか知らぬが、それは今人の思想 で、古人はさうではなかつた。夫の京都六角堂の観音が親鸞聖人ヘの夢告に、行者宿報設女犯・我成玉女身被犯と云はれて、やがてそれが九条関白兼実の息女玉日宮と生れ、聖人が妻帯の相手となつたといふ事を思ひ合はしたならば、自ら理解は出来よう。一体這の観音といふ仏は男か女か、未定と云へば未定で、印度では寧ろ立波な男と看た方が宜しい様でもあるが、併し一般にはその相好は女の方に近い。観音にも詳に言ふと色々種類があるが、就中如意輪観音などは、その名作を拝見すると、如何にも妖艶なのに魅了せられざるを得ない。昔江口と肩を並ベて居た蟹島の方では、如意といふ遊女が最も有名であつたらしいが、如意は即ち如意輪観音から出たのだらう。斯くて自分は又観音を以て女神の代表と観、それに対して勢至を男神の代表と観て此の男女陰陽両神が阿弥陀の脇士となり三尊たる所は、宛も天御中主命と高産霊・神産霊の両神の様なものであらうと考へて居る。観音崇拝が最も盛に行はれて、勢至の方はとんと振はないのは、矢張り大地の繁殖力を表現する女神が最も有力な一つの証拠であらう。

尚ほ之れと関連して室の遊君の長者は、普賢菩薩の化身だと云ふ伝説も亦古くからあり、書写山の開基性空上人は多年法華経読誦の功徳に由つて、天童の示教を被り、親しく其処へ赴いて 面のあたり之れを拝したと云はれて居る。普賢は文殊と相並んで、釈迦如来の両脇士である。 文殊が男で、普賢が女だとは申されまいが、文殊は般若自在で、智慧の方であれば、勢至と同じく男性的であり、普賢は三昧自在で、情緒の方であれば、観音と同じく女性的とも看られる。別して普賢には延命の徳があると云ふのは、大地の繁殖力を表現した所もある。密教の方では普賢を大日如来の補処だとするのも、それと自ら関係があらう。文殊は獅子に騎し、普賢は白象に乗つて居るのも、亦剛柔の別を表して余ある様に考へる。

囚に江口の遊女は観音の外に、中君・小馬・白女・主殿などあり、蟹島には宮城が第一で、如意之れに亜ぎ、香爐・孔雀・三枚などあり。神崎には河菰姫を長者とし、菰蘇・宮子・力余・小児等の名が「遊女記」に載つて居る。而して自分は宮城とか宮子とがも、亦何となく神殿行娼を暗示した称称の様に感じる。