自分は前に神社仏閣と遊廓なる一文を起草したが、それには実はブレザー氏の該博なる研究 に負ふ所が太だ多かったことは申す迄もなからう。フレザー氏には大小幾多の著述があるが、 就中その「アドニス・アチス・オシリス」(一九〇七年)と題する一大冊子は、斯道の宝典と称しても溢美とはしない。由つて今茲に便宜その中ょり数十頁を抄録して、他の参考に供しょうと考ヘた。それは第三四両章に亙つて居る。曰はく、
抑々サイプラス島と云ふのは、シリアの海岸を距る僅に帆行一日程のところに在り、夏日睛れたる暮天には、その岳影は模糊として夕陽の火の燃ゆるが如くなるに対して認められるであ らう。土地頗る膏沃にして、嘉禾あり美酒あり、又銅鉱に富み、樅杉なとの大木亭々として聳えて居る。従つてフエニシア人などの目には、自国の荒寥貧瘠なるに較べて、宛も天与の楽土の様に想はれ、早く此に移つて植民し、希臘人亦相踵いで来り、久しく相駢んで居た筈である。
斯くセミチツク族の移住に伴うて、その色々の神祇をも同じく本国から伝来したのは当然であらう。就中島の西南辺に於けるパフオスは、全島第一の祀廟として、アフロダイトとアドニスとを祭つてゐた。それは西紀前四世紀の終り頃迄に最も繁昌したらしい。位置は海岸かも一 哩ばかり隔りたる小丘の頂にあつた様だが、その光景は帝政時代の古貨幣に鑄もれて残つて居 り、又ミケネの王墳から黄金製の小模型を発掘したのもある。而して之れに由つて観ると、社 殿の前面には一対の鳩が飾られ、その内面は三室に分かれてゐて、中央のものは屋蓋太だ高い 様だ。各礼拝室には一対の斜桁の中に立ちたる一本の柱あり、中央の室の上にも亦斜桁の二対 を冠らせてある。側室にも亦同じ様に一対の斜桁を冒し、而して各対の外端の一羽の鳩が棲ま して居る。蓋し鳩はアフロダイトの聖使であり、又桁とか柱とかは有史前のクレタのクノサスの宮殿や、その外希臘のミケネアン或はミノアン時代の紀念碑等に於て数々見るところの宗教上の標章である。斯くて是れは少くも西紀前第抬二世紀頃ょりその儘に存するものと断定せられるほどに太た古い。或はフエニシア人の渡来前に、夙に固有の繁殖女神の祀廟のあつたのに、それが克く宵似した所ょり、一転したものかとも想はれる。その偶像は円錐形の石片である所に目を止められたい。勿論それは各処に沢山類例があることは、喋々しないでも分つて居やう。否基督教や回々教に於て、聖母マリアを拝するにも斯かる昔の繁殖女神の面影を存する所さへあることは掩ひ難い。(訳者案ずるに柱と斜桁は猶ほ宮柱と千木のごときである。)