二(さてサイプラスでは昔は一切の女子は誰でも、)

さてサイプラスでは昔は一切の女子は誰でも、婚姻前に這の繁殖女神の祀殿に於て、外人に身 を委ねて娼婦の行をすることを強制されてゐた。女神の名はアフロダイトとでも、アスタルトとでも、何でも構はない。之れと同じ風は西亜細亜の多くの部分にもある。その動機は如何なるにしても、それは大母神の奉仕の為に行ふ崇厳なる宗教上の儀式であつて、固ょり決して戯楽の遊興ではない。従つてバビロンでは、各女子富めるも貧しきも、一生に一度はミリツタの神殿に於て、一外人の抱擁に身を委ねなければならないとした。而して此の神聖視されたる娼行に由つて得たる賃銀は、女神に捧献すべきことになつてゐた。其処の聖域には婦女が群聚して客を待つて居ると云ふ有様である。或は待ちに待つて数年に及ぶもあるさうな。ミリツタもイシュタールもアスタルトも、皆同じものと見て好い。シリアのヘリオポリス又名ペールベックにも、アスタルトの高大なる神殿があるが、其処にも亦同様の娼婦的習俗がある。それを後にコンスタンチン皇帝が厳令を発して禁断して仕舞ひ、神殿を破毀し去つて、その跡に数会を建てたのである。

フエニシアの諸神殿では、婦女は自ら宗教上の奉仕の為に賃銀目当に娼婦の行を為し、それで以て太に女神の神盧を慰め、思寵を被ると考ヘてゐた。バビラスでは、又人民が毎年アドニスの弔祭忌には、頭髪を剃つた。而して婦女にして若しその頭髪を供ヘることを拒む者は、祭期の一定の日に於て、自らその身を外人に委ねなければならず。斯くして羸ち得た金銭は女神に献ずることになってゐた。この習慣はバビラスでも外の処と同じ様に、昔は一切の婦人に宗教奉仕として、その徳操を犠牲にせんことを強制してゐたが、後に稍緩和して出来たものと見られる。蓋し婦人の頭髪の供献は猶ほ其の一身の交付と同じ様に看られたことは他にもその例が乏しくない。リヂアでは一切の女子は嫁資を得んが為に、自ら娼行を強制されて居た。然かもその動機は矢張り経済的ょりは寧ろ信心からであることは明瞭である。此の風は西紀第二世紀頃之も存してゐたらしい、。アルメニアでは最も高貴の家柄でも、その女子をばアシリセナな る女神アナイチスの神殿に奉仕せさせ、結婚の成る迄は久しく娼行を敢てせしめたと云ふこと である。而してその奉仕期が過ぎ了ると、誰も此等の女子を妻として娶るに毫も躊躇しなかつ た様だ。ポンツスのコマナでも、女神には聖娼婦の一群に由つて奉仕されて居る。而して其処 ヘは附近の都会や田舎から男女群参して来たと云はれて居る。