四(とにかくシニラフスは一王朝の開祖で、之れに関しては)

とにかくシニラフスは一王朝の開祖で、之れに関しては種々の説話がある。それは国王であつて、又アフロダイトの僧侶であり、非常に富裕で諺に成る程であつた。その子孫がシニラツド族で、西紀前第四世紀迄継続したらしい。此のシニラスが穀神の祭日に、その女のミルラと乱倫の所行を敢てして、その間にアドニスが生れたのだと云つて居る。当時ミルラは白衣を装ひ、九日の間厳重に斎戒して、清浄に身を持し、秋稔の初穂として、穀物の花冠を獻ぜんとしてゐたのださうな。尤も古は国王がその女を姦犯した事例は珍らしくない。これも強ち只不自然の濫行とは看ず、恐らく相当に理由のあつたことで、或は女系継承と関連して居り、他人の手に王冠の移ることを防いだとも謂へやう。当時国王はその妃の死後は位を退くのが通例であつた。 蓋しそれは只妃の夫婿たるに由つて位にるたのだからである。従つて更にその女と婚して始めて引続いて位に在ることが出来る様な次第であつたらう。

何しろシニラスは非常な美男子であつた為に、アフロダイ卜の神自ら恋慕したが、而かも神は又、シニラスの子のアドニスにも懸想した。否シニラスの義父たるビグマリオンも亦アフロダ卜の神像に恍惚として、自ら之れをその寝床に持ち込んだなど云ふ話もある。由是観之父祖三代相嗣いでアフロダイトの僧侶として奉仕すると共に、又神の愛人であつたことも知れやう。然り而してパフオスの宗教的娼婦の習俗は、此のシニラス王これを肇め、其の王女も自ら之れを実行したと云ふ所ょり推すと、その実パフオスの王達は啻に神像と結婚の形式を行つたばかりでなく、又一定の祭日には殿堂の聖娼婦の或る者と寝ねたことも想像されやう。而して其子女は人間ながら神裔として崇敬された様である。それは随分王位に登ることも可能であつた。これは埃及辺にも似た風俗があつて、国王は常に神と看られ、王妃は神婦と謂はれて居た。セミト族中では誰でも自家の女子を国王の閨門に差出したものは、自ら神の父だと称ヘたと云ふも同じ訳だ。

或は曰はく、シニネスの名は弾琴者といふ事である。希臘語で提琴をキニラと云ふのは、セミチツク語でキノルと云ふと同じであると。又以て当時音楽特に弾琴が宗教上儀礼に於て重要の位置を占めてゐたことが分かる。ジェルサレムの王ダヴイツトも亦弾琴者の義だと云ふ。アポロがシニラスの友として善かつたといふのも、亦この音楽上の好尚かららしい。シニラスの最後に就いては、異説区々で、百六十歳の長寿を得たさうだが、一説ではその女と姦淫のところを人に見られて、耻ぢて自殺したのだとも云ひ、又一説ではアポロと音楽の竸争に負けて、殺されたのだと云ふ。とにかく急に死んだ事に成つて居る。