五(上来西亜細亜に於ける宗教的娼婦の事を詳述した)

上来西亜細亜に於ける宗教的娼婦の事を詳述したが、或る人はその由来を全然世俗的に説明し、結婚に由つて女子を夫の手に渡す前に、予め花嫁たるの童貞を破つて仕舞ふのは、当時の文化程度で往々恐れられてゐた、花婿の他との交際上の危険を取り去る予防策だと云つて居る。フアーネルやニルソンは此の説である。併しそれには色々反対論もある。第一それはどうも実際非常に宗教的であつたことを説明するに足らなからう、第二それはヘリオポリスやパビロンやビプラスに於て処女でなく、一般の女子に娼行を強制したことの説明に成りかねる。イスラエルでも亦年若な既婚婦は、山巓の神殿近く樫や白楊樹や篤●香の神木の蔭に隠れて、娼行をしたとも云はれて居る。それには只単に若い女とあつて処女とは記してない。第三にそれは又リ ヂアやカヅバドシアやアルメニアや、その外パレスタイン全部に亙つて存したらしい反復的職業的娼婦の説明に成らぬ。第四にこれは神殿には又ケデスホース即ち聖女と相並んで、ケデスヒム即ち聖男のあることの説明にならぬ。而して第五には此の習俗に於て金銭を払ふ者は男で奉仕するものは女である事を見るが、右の臆説では反対に成らう。男は危険を敢てして水揚を断行するのだから、夫の方が支払を受くべき筈であるとも云ヘやう。それ然り、這の聖娼婦の風は鉋迄も宗教的起原のものだと看なければならぬ。それは又此の役を演するものが、時としては僧侶であることを思つて見ても分かる。尚ほ羅馬や印度の一部では、往々童貞の犠牲は男神の像に向って為されたのさへある。想ふに純世俗的用心からするのは却つて宗教的古風の一変したものであらう。尤も此の宗教的儀式は元来純粋に身体の婚姻に対する熟否を試みる為だ と看られる場合がないでもない。濠洲の土民中には、今もそんな風がある。併しそれで以て西亜細亜一般の宗教的娼婦の古風の真動機を説明し得たとは云ヘない。それょり眸を転じて印度並に阿弗利加地方の習俗を一瞥しょう。