抑々印度ではタミル神殿の奉仕に捧げられたる舞女は、テヴア・ダシスと呼ばれ、神々の婢僕の義であるが、他の普通一般の言辞では、単に娼婦と謂つて居る。南印度の有名なるタミルの各神殿には此等聖婦の一陣が居る。その職掌は毎日朝夕二回神殿上に舞踏し、西蔵の牛尾を以て神像を扇ぎ、又神像を担いで行列を立つる時は、その前に歌舞し、並にクムバルテイと称する聖火を持て行く事である。紀元千四年の銘記に拠ると、タンジョールに於けるコラ国王バジヤラジヤの大神殿には、四百殿女があつて、彼等は神殿を周りて市内の自由なる区に住し、租税を免ぜられて居る。それは皆幼時から舞ひ且つ歌ふことを練習するが、此の地方の母は安産を祈って、予めその生るゝ女子を神に捧げることを誓ふ者がある。
チルカリクンドラムといふマドラス管領の一小邑の織婦仲間では各戸の長女は皆神殿に捧げる風に成つて居る。而して彼等はその聖職に就く前に形式に結婚式を挙げ、或る時は偶像と或る時は神剣と婚するので、爾来神の妻と看られるのである。マーラタでは之れをムルリと呼ぶ。
而して一般に人民は時々神が影向して、斯かる婦人の身体を抱有すると信じて居る。斯く神が憑依した場合には、該婦人は身体を前後に搖動するが、その時は占卜者として他の問に答ヘることもある。それは脚下に小銭を置いて、謹んで口吻より漏る語辞を神託として拝受するのである。南印度のチユラヴア地方では、四高貴閥の婦人は、その夫をば持て余すか、寡婦と成りて再婚を許されざるか、独身の煩悶に堪へないかすると、自ら神殿に身を投じて、神像に供ヘたる米を食うて活きることをするらしい。それは婆羅門教徒に限る訳だが、いよいよ其処で一生を送ると極まると、毎日一定の食米を配分せられ、而して殿堂を洒掃し、神像を扇いで居ねばならない。固ょり回々教徒以外の者に恋愛することは出来ない。
此等の婦女の男児は一個の特別階級を形成し、モイラールと謂ふ。又スタニカスと謂ふ方を好むらしい。彼等は神殿の雑役に従事するか、或は此等の聖役を嫌らうて、自ら正業を求めて糊口するものもある。女子はその母と共に暮らすか、スタニカスに嫁して行くのが多い。神殿で暮らさない婆羅門婦人や、又その以下三低級の一切の婦人は、純血統の男子と共棲し、而して年々一定額を神殿に上納すべしと定められて居る。
トラヴアンコールでは、神殿附属の舞女をダーシ、或はデヴアーダーシ、或はデウアラチアールと呼ぶ。執れも神僕の義であるが、それは卑賤の業の外に、実に神と結婚したものと見られて居る。その結婚年齢は通例六歳から八歳までゝある。而して花婦たる者は地方の神殿の主神である。儀式は主神の家で行ふので、経費は半はその資金中より支辨することにななつて居る。例へばスチンドラム地方では、ヨーガと云つて神殿の主要なる役位のものが相会して色々準備を行ひ、やがて少女は沐浴させて、布片二個とタリと云つて檳榔子などを携ヘて神殿に行くと、僧侶はそれを受けて神像の脚下に供ヘ.而して少女は神像と差向ひに座に着くのである。その時に僧侶は聖火を点じ、それよりチルカリヤナム祭の全儀式が逐一推行せられ了つて、花嫁をばサイヴアの神殿ならば、パンチヤクシヤラ・マントラに、又ヴエイシナヴア神殿ならば、 アシユタクシヤラに手引して入れる。そこで花婿に代つて今度花嫁の持参したる二布片の一つを贈物とし、タリを花嫁の頸に懸けなどする。而して少女は自家に帰り、四日間盛に婚礼の祝祭を挙ぐるのである。それには婆羅門の婚礼にあるナルシカの儀式をも主要とする様で、ナルンカ儀式とは花嫁から花婿の方ヘ一個の椰子を転ばし、又同じ様に花婿から花嫁の方ヘも転ばすので、勿論花婿の役目は僧侶が代つて行ふのである。斯くて始めて少女は神の妻と成つたので、余生は神の奉仕に捧げて、毫も渝らざることは、他の貞婦のその夫に対すると異ならないとする。その生涯は専ら音楽の修養に委ねて、確に清浄無垢だと謂はれて居る。神殿の祭典には精進をも行ふ様に成つて居る。持戒堅固である。その日課としては、毎夕日没時に神前の燈明を搖り動かす事、讃美の歌をうたふ事、舞ふ事、並 に神の行列には燭を秉つて伴とする事で、行列の後にも吟誦すること数回に及んで、夜の勤行を了ヘるのである。さて又既に年老いて任に堪ヘない様に成ると、帖別の儀式を行うてから隠居する。その儀式はトーツヴエークヴーカと謂ひ、耳環を除くことである。而してそれからはタイキザヴイ即ち老母と呼ばれ、一定の扶持を貰つて、静に暮らすのである。死んだならば固より神殿で葬費は支辨して呉れる。乃ちその床側には僧侶侍座して、直ぐに色々儀式を行ひ、やがて蕃紅花粉を撒して香浴を取らせなどする。