七(印度の方はこれ丈けで置き、更に西阿弗利加の方)

印度の方はこれ丈けで置き、更に西阿弗利加の方に一層有趣な事がある。スレーブ海岸のイユー語民の中では、僧職の補欠は二途に由る様で、一つは年少者を養ひ取る事で、一つは六人の直接に加入する事である。年少者は男女を択ばず、コシオと呼ばれる。これは無果実の義でその両親は之れを喪うたと云ふ意味である。而して女子は神々の妻と成る訳で、ヴオーズシと呼ばれる。その女子のロシオの主要なる職務はと云はゞ、実に娼行である。即ち各都色には少くも一大娼院があり、十歳より十二歳の容色美なる少女を収容し、其処に二三年間置きて、神神の崇拝に特有なる歌舞を習はし、且又僧侶並に男学寮の人々に娼行を為し、やがて見習期限が尽きると始めて公娼と成るのである。勿論それは毫も誹謗せられるものでなく、既に神の妻たる上は、神命に由って斯くするものだと解せられて居る。従ってその許す所は、神穀に於け る男信徒に限る筈だが、併し実際は殆ど無差別であった。而して若し其の間に子が出来たなら ば、それは神の子としたのである。尤も既に神の妻たる上は公然結婚が許されないのは当然で あらう。

尚ほ亜弗利加の同地方に於けるダニヤグビーの女コシオ、即ち蟒神の妻たり尼たり娼婦たるものゝ組織には、却々面白い事がある。彼等は垣墻を周らせたる小屋の一群内に共棲するので、其処に三年間の見習をするのである。それは大抵は少女を養ひ取るのであるが、又年長の婦女も既婚と独身とを問はず、奴隷と自由民とを択ばず、公然に奇声を発して、神の憑依を示す者は、加入することが出来る。一且加入した上は、修業期間はその身体は侵犯すベからざるものとし、独身者は父母の家に、既婚者は夫の家に入ることを厳禁される。此の身体不侵犯は、数数奴隷は勿論、人の妻たる者を、その主人や、夫の虐待から放免して遣る効がある。即ちそれは又一種の隠れ家とも看られやう、蟒神は其の神殿内に於て、此等の婦女と密に婚媾し、婦女は神を以て其の出来た子の父とする。併し実際は僧侶と共に寝るのであることは申す迄もなからう。

然り而して更に注意すベきは土地の豊穣と此等婦女の神との婚媾間には、最も密接の連絡がある事である。即ち蟒神の花嫁たるものを求める時は、恰も稷の発芽の時季で、その時は数人の老尼は棍棒に身を固めて、市街を狂人の如く叫びて駆り廻り、戸外に在る八歳乃至十二歳の少女は蟒神の妻に貰ひ受くるぞとて、手当り次第に連れ行くので、而かも信心なる親達は、故らに其の愛子を戸外に出して神に献ずる者も多々ある。斯くして穀類成熟し家畜は繁殖すると信じて居る。従って風雨時ならず、旱魃や不作の時は、別して蟒神に祈る事は多い。

右は女コシオの事であるが、男コシオも亦同様で、三ケ年は見習し、期限後神殿に伺候して、神慮にかなひ神憑に適するかどうかを試みられるので、先づ僧侶の一隊に取り巻かれ、頭部に秘密の装飾を施し、油を灌ぎ、長い荒々しい合唱で以て神を祈り下すことをする。而してその間に件の若い候補者が身体を激して搖り動かし、痙攣の状を呈し、口角泡を吹き、やがて乱心の体で踊り出し、長時間に亙つて止まない様たと、それは確に神憑の兆候だとし、七日七夜神殿に籠居して、一語を発せしめず、その期を過ぎて、僧侶始めて其の口を開き、言語を許し、新語を与へて、立派に一人前の僧侶と成り、神人の媒介者として、その言ふ所は神託として崇められるのである。偶々其の乱心の状態中に罪々犯すことがあっても、それは神業たとして、何等処罰はないと掟されて居た程である。尚はゴールト海岸のトシ語民の中にも、右イユー語民のと大体に肖た風俗がある。僧侶は普通人と同じ様に結婚することも出来、妻を購ふことも出来るが、尼は神の妻として人の妻たることは許されない。併しそれは決して性交禁断と云ふ訳ではなく却って頗る放縱である様で誰とても相交ってその情欲を満足させて妨ないとして居る。