但し斯くして啻に警喩的たるばかりでなく、事実上男女が神の子女たるを得との信仰は、固より独りシリアのみには限らない。昔から各所にあつた事で、夫のハンナーが上帝に祈って一子を挙げ、その名をサミユールと命じたのも亦それで、サミユーとは上帝の御子といふ意味である。即ち確に上帝に由って懐胎したと信じて居たらしい。西阿弗利加でも、アグバシアの神廟に子を祈り、出来た子はその神の神聖なる奴隷として捧げた様である。凡そ此等は皆昔時該地方に於て宗教的娼行が行はれて居たことを解する端緒とならう。尚ほ他に類例を求めると、昔 エスキュラビウスの大神殿なども、顕著な一例で、それはエビダウラス湾頭の風景の美なる高 地の谿間に位して居るが、婦人が其処に詣でて神聖なる祠殿に夜寝ると、夢に蛇が来訪して、 怱ち身むので、その子は蛇に由って出来るのだと信じて居た。蛇はやがて神である。シキヲンのアラタスなどは、現に蛇神エピキュラビウスの子だと見られて居た。否羅馬皇帝アウガスタスも亦その母がアポロの神殿で蛇と交って身む所と成ったのだと云はれて居る。アレキサンドル大王や老シピオやメフセニアの勇将アリストメネス等も亦孰れも蛇の子ださうな。尚ほエリアンの「デ・ナッラ・アニマリウム」に拠ると、ヘロッドの時に一疋の蛇が同じ様に一人の猶太の少女と恋愛の仲になったとある。知らずこれは基督の血筋の一附会説と看るベきかどうか。
想ふに斯様に数々蛇類が人類の父と成るとの説が、広く行はるゝ理由は、亡者は蛇の形で以て再生して、その旧宅を訪ひ来るとの一般的信仰に基づいて居るらしい。此の信仰は諸方にある。而して既に蛇を祖先の復活だと看る時は、大に之れを尊崇し優遇するのは当然である。蛇 はやがて母胎に入るベきものだとして、嬰児同様に乳を与へて之れを養ふ風もある。希臘や羅馬でさヘも亡者の魂は蛇の体内に宿ると信ぜられて居た様だ。羅馬では蛇は各人の守護神と崇 められて居た。ゲニウス即ち守護魂は蛇であった。従って羅馬の家では蛇が群生して供養を享け然かも非常に繁殖して焼きでもしなければ如何とも致方ない程に成つて居た。希臘の旧伝では、カドマスとその妻ハルモニアは死して蛇に成ったと云はれて居る。又スパルタ王クレオメネスが埃及で殺され磔刑になった時は、一大蛇が十字架に上り、その頸囲を巻き、其の顔面から兀鷹を取り出したと云はれて居る。而して時人はこれはやがてクレオメネスが神の子たることの証明と看た。哲学者プロチナスが臨終の床の下から、一疋の蛇が出て壁穴に入って、哲学者は暝目し去ったとも云はれて居る。希臘人が墳墓上に牛乳を注ぐのは、全く蛇への供養である。尚又十月中に希臘婦人の営むテスモフオリアの播種祭には、穀神デメテルの神聖なる穴中に棲む蛇類へ菓子や豚を投げ入れる習儀があった。否蛇は亡者のみならず、大地母神そのものだとも看られ、従って若し過って之れを驚かしでもすると、恐懼して供物を捧げ、大に慰めるに努めるのも無理はない。
之れを要するに希臘人が蛇神に由って身むと信じた背後には、蛇の形をして亡者が居て身むのだと看たとも想はれる。従って石婦は数々墳墓を訪うた様で、夫の蛇神エスキユラビウスの神 廟など云ふのも、その初は全く一個の墳墓であつたらしい。シリアの聖ジョージの廟も亦然り と云へる。それは東印度にも同じ信仰がある。尚ほ之れよりして亜弗利加辺では数々その亡児を路傍の林中に埋葬し、やがて路行く婦女の胎内に入るに便ずるとの考が広く行はれて居る様 だ。コンゴの北方の食人種なるバンガラス族では、或る日母親が道路を深く掘って、其処に埋 めたる初生児の小さい遣骨を取り出し、抱懐して早く再び入胎せんことを祈るのを見たものが ある。それと同じく北印度では、小児が死ぬと通例は之れを門側に埋めた様で、それも出人毎 に早く再生を念じてゞある。又南印度のゴダヴアリ地方では、死屍は一般に火葬に附するが、小児や年若い男女は土葬とする様だ。更に或る所では、魚類や昆蟲や植物を喰ベると、やがて 子が生れると信じても居る。それは亡魂が此等のものに憑つて居ると云ふのであらう。終には 別に喰ベずとも、只之れを胸に触れて則ち身むとさへ云はれて居る。南方スレーヴ中には子な き女子が姙婦の墓に詣て、一本の草を取り、その名を呼んで胎児の吾が腹に転生せんことを祈 るのも珍らしくない。時には土塊の小片を取って、之れを帯の下に挿むのもある。中央濠西太 利でも亦先祖の亡魂が再生するとの信仰は一般に行はれて居る。而して懐胎は性交の結果なる を知らず、性交なくして能く身むとさへ信じて居るらしい。それは亡魂は或は岩石に或は樹木 に宿って、再生の機会を待って居るので、アルンタ族の居る地方には、所々に子供石と呼ぶものがある。それは亡魂の宿るものであるさうな。之れに祈って子を挙ぐる効があるとは、男も女も共に信じて居る。