抑々吾が国に戒会即ち戸羅会があるは、唐僧鑑真の来朝に始まることは贅弁を待つまい。鑑真の来朝は孝謙天皇の天平勝宝五年で、天皇厚くこれを遇し玉ひ、東大寺に居らしめ、やがて毘盧舍那仏の宝前に戒壇を築くことに成つて、翌年には太上天皇即ち聖武天皇、当今即ち孝謙天皇を始め奉り、数百の廷臣官女等が挙つて受戒せられた様である。是れが戒会の最初であらう。而して後更に筑前の観音寺並に下野の薬師寺にも戒壇を設け、東大寺のそれと並ベて天下の三戒壇と称し、中州は勿謡西州東州の民にも姐く受戒の便を施されたことは、敢て喋々を待つまい。但し此等三戒壇は全く小乗戒で、それは主として「分律」に拠つたのである。而して件の小乗戒に於ても亦早く受戒は固より啻に僧尼のみならず、一般俗流白衣の者にも及んだ事は、現に前述の戒会が、上は畏くも太上今上両天皇を始め奉り、数百の廷臣官女に行渡つて居るの でも分からう。実に戒には早くから専ら僧尼の為にするものと、一般在家の俗人の為にするものとがあつたので、夫の五戒並に八戒は素より在家俗人の戒である。而して僧尼には十戒あり、二百五十と五百と比丘比丘尼、それぞれの為にする具足戒がある。然かも件の俗人向きの五戒八戒も亦後世の授戒会の様に、手軽に授けたのではなく、相応に面倒な手続を経たらしい。只一人々々では非常に手数が掛かるより、予め時日を定めて、一同に施授した様で、それが戒会の由来であると思はれる。
今試に当時受戒の次第を略叙して見ると、第一には受戒者の資格か厳に定められてある。先づ年齢は二十歳に満ちた者でなくてはならず。三衣々鉢具備して貧乏ではならぬ。又体格も完全で諸根に闕ける所があつてはならぬ。その上出家の相を具へて居り、発心して熱心に乞戒する者に限るとある、却々喧しい様だ。
さていよいよ受戒となると、三師七証を請ずる事が肝要で、請師法といふものか定あられてある。所謂三師とは戒和尚と外に鞨磨師、教授師の二人である。鞨磨師は鞨磨文を読む人で、鞨磨は作業なり弁事なりとある、又教授師は受戒の弟子に威儀作法等を教授する人で、謂はゞ世話方であり介添である。羯磨師よりは稍々身分が低い様である。而して七証とは七人の証人で乃ち立会人である。是れも徳歯は略ぼ右の三師に同じき者を屈謂することに成つて居た様である。
問縁とあつて、其の身分行状、乃至血統や体格万端を仔細に訊問せられる。それを一三難一六遮と呼び、又単に遮難とも呼んで居る。遮は身分資産血統等の方面で、難は行状履歴の上に属する。従つて前者は軽く後者は重い。所謂十二難とは一には辺罪と謂つて四重罪を犯した者である。四重罪とは一は婬戒一、二に盜戒、三に殺人戒、四に大妄語戒を犯す事で、凡て此等の犯人は仏法辺外の人であり、重ねて浄戒海に入る能はざる者とする。二には比丘尼を犯す事である。三は誠心受戒と謂つて、私利の為に故に詐つて出家する事である。四は破内外道と謂つて、本是れ外道でありながら、一時仏法に投帰し、受戒訖つて再び外道に反還する事である。五は黄門と謂つて局部の不具者である。六は殺父。七は殺母。八は殺阿羅漢。九は破法輪僧。十は出仏身血。十一は非人。十二は畜生変化で、十三は二形と謂つて、男女の二根を具するものである。又十六遮の方は、一は自ら名を称せず。二は和尚の名を称せず。三は年二十に満たず。四は三衣具せず。五は鉢具はらず。六は父聴さず。七は母聴さず。八は負債。九は奴。十は官人、十一は非丈夫で、是れは従来の註釈家は往々男子ならざる事と説いて居るが、若しさうならば大変な事で、寧ろ難の方に属すベき筈たらう。此処では寧ろ病弱にして健康良しからざる意味で、吾が俗語の丈夫と同視して可なりと考へる。そこで一歩を進めて十二は癩。十三は癩疽。十四は白癩。十五は乾症。十六は癲狂と次第する。乾症は古註に痩疾とある、今の病名を以てすれば結核とか労咳とかで、又神経衰弱とかをも含めて謂つたものであらう。
此等十三難十六遮軽重の吟味が済むと、単白入衆となる。単白は衆僧に向つて宣告して、勧めて和忍せしむる事で、和忍は承認と同じである。其処で戒師白和となつて、戒師が之れに対して更に簡単に、右の遮難の有無を調ベることがあるのぢやさうな。
以上は縁起方便で、予備試験の様なものと見られる。それが済むといよいよ受戒と成るので、先づ受前開導とて、更にそれぞれ心得方を教示するあり。やがて白四羯磨の順序に進むので、それが竟ると始めて戒体無表を発顕して、戒法授受の作法成就し、防非止悪の功能自ら受戒者の身中に現はれる様に成ると云ふ手順である。白四鞨磨は一度の白と三度の鞨磨と併せて都合四度となる事で、即ち先づ衆僧に向つて其の事を告白するのが白で、或は作白とも謂ふ。次ぎに三度重ねてその可否を問うて徐に其の事を決するのが、初羯磨第二鞨磨第三鞨磨である。其の文を鞨磨文と謂ふ。暫く「鞨磨経」に拠ると先づ作白は左の様である……「大抵僧聴き玉へ此の某甲なるもの、和尚某甲に従つて具足戎を受けんことを求め、此の某甲なるもの今衆僧に従つて具足戒を受けんことを乞へり。某甲和尚某甲の為に白説す。清浄にして諸難事なく、年は満二十にして三衣と鉢と具はれり。若し僧時に到らば僧忍んで某甲に具足戒を授くることを 聴せ」と。将又初鞨磨は左の様である……「大徳僧聴、此某甲従二和尚某甲一、求レ受二具雌或一、此某甲、今従二衆僧一、乞レ受二具足戒一。某甲為二和尚某甲一白虎、清浄無二諸難事一、年満二十、三衣鉢具。僧今授二某甲具足戒一、某甲為二和尚一、誰諸長老、忍下僧与三某甲授二具足戒一、某甲為中和尚上者黙然。誰不レ忍者説」とある。今茲に前文は仮名交りに直し、後文は本の侭にした、偏に読者の都合を計つた迄である。尤も「大日本仏教全書」本の訓点句読には往々杜撰のものがある様だから採らぬ。文中忍は即ち認で承認であり、不忍者説は不承認の人は言へと云ふほどの事であらう。而して第二第三両菩磨は又共に此の初羯磨に同じで、つまり同じ事を丁寧に三度も反復するのである らしい。
此の白四羯磨は受戒作法中の最も大切なるもので、自分の此論文も亦実は此に重きを置くものである。勿論是れは比丘々々尼が具足戒を受くる時の作法で、他の在家俗人が五戒八戒を受くるには固よりそれほどの手数が掛つたとも想はれないが、然も大体の順序は又その精神に於て同じであつたらうと信ずる。凡そ此等の事は南山大師の「四分律羯磨疏」并に元照律師の「行事抄資持記」「鞨磨疏済縁記」等に詳載してある事は、贅弁を待たざる所である。
若し夫れ大乗円頓戒に至つてはさうでない。蓋し此処には「四分律」に拠らずして「梵網経」に依るもので、菩薩戒である。大賢の「古述記」には巻頭に先り麗々と書いてあるが、凡そ菩蔭戒には三門ある。一には受取門であつで、それは六道の衆生、但だ師の語を解して先づ大菩提心を発するが肝要である。それは定めて無上菩提を取り、未来際を窮めて有情を利楽せんと誓ふことで、此処に早小乗の自利に専心なのとは、根本的相違がある。而して一旦此の菩提心を発した上で、受戒に又二種の別がある。一は所謂一分受で、受者の意楽の堪ふる所のまゝに或は一或を受け、或は多戒を受けるのであり、二は全分受で悉皆を一時に受けて仕舞ふのである。執れにしても名づけて菩薩とするので、他の小乗で浪人も必ず総ベて受持せよ、左なくば一分 丈では比丘とは名づけられぬと云ふのとは大に違ふ。尚且つ既に発心さへすれば遽難などは別段喧しく言はぬらしい。されば此の大乗円頓戒の方では、実は在家俗人でも容易に受けられる筈で、殆んど道俗緇素の別が無いと謂つても可なりとすベき筈である。
併し実際はさう行かぬと見えて、現に浄土宗などでは大変厳しい掟があつた様である。即ち元和元年七月の浄土宗諸法度には左の三箇条がある。一、碩学衆円戒伝受に於ては、道場の儀式を調へて執行せしむベし。浅学の蜚猥に授与すベからず。一、在家の人に対しては五重の血脈を相伝せしむベからず。一、浄土修学十五年に至らざるものには血脈伝授あるベからず。殊更に璽当許可私試猶ほ允可の如きに於ては、器量の仁たりとも二十年に満たざるは堅く伝授あるベからずと。是れは「憲教類典」四の十三の上にあるさうな。而して同じく享保七年十二月の浄土宗法度にも亦五重血脈相伝の事は是れ最も宗門の一大事にて、たとひ学匠たりとも其の功を積み候ふて相伝せしむることに候。在家に対して相承すベからざる儀は、御条目顕然たる上は諸寺家の住寺これを相守るベく候。然るに隠居或は往来の僧徒在家に寄寓し、猥に相伝せしむ る事、法中の大賊なり。右の族これあるに於ては、近院の寺院より其の本々へ申達すベく候。若し他所より露顕に及ばゞ越度たるベき事と「師友雑録」を引いて、共に「古事類苑」に出て居る。併し今日では実際浄土宗の方でも授戒と謂ひ五重相伝と謂ふものは、広く一般に施行されて居るらしい。是れは大に注意すベき現象で、而して大乗戒として斯う成り行くのが或は当然かも知れぬ。否大乗戒の本来の立場より言へば、戒は必ずしも従他得とて戒師に従つて受くるものとは限るまい。又別に白誓得と謂つて自ら仏に向つて心に誓つたならば得られる筈で、執れにしても白四鞨磨などの面倒なる作法は入らぬとする。此に於て受戒の意味は大に変じて来るが、愈々以て誰人にも広く施される都合である。
尚は小乗のは五戒八戒乃至具足戒であつたが、大乗円頓戒の「梵網経」を宗とするものでは、それは所謂三聚戒である。三聚戒とは一に摂律儀式で、五八十具一切の戒律を具足する。二に摂善法戒で、一切の善法を修するを戒とする。三に摂衆生戒で、一切の衆生を僥益するを戒とする。此の三戒積聚すれば実に自づと上求菩提下化衆生の徳は具備する筈である。而して此の三聚戒は夙に道俗通行の戒と謂はれて居れば、授戒会として広く一般の俗人に施すのも実は毫も怪むに足らない。尚ほ「梵網経」には特に十重戒四十八軽戒なるものがある。それを纏めて摂律儀戒の戒が特に挙げられて居ると見ても亦妨あるまい。自分は摂律儀戒の意義を寧ろ斯様に取極めて見る方が便利かと思つて居る。併し従来一般に戒律そのものには大小両乗遍して区別なしと云へば、それは余計の沙汰と貶けられるかも知らぬ。只三素戒を梵網為本の大乗戒とし、又道俗通行戒とする上では、自分の卑見の方が理窟は立たうではないか。