六(尚ほ終りに臨んで、仏教諸経典に見えて居る男女観)

尚ほ終りに臨んで、仏教諸経典に見えて居る男女観の一斑を紹介して、本文と相待ち、一層親鸞独自の立場を明にしたいと思ふ。抑々普通一般には仏教のをしふるところは、右陳ベたる如く、五陣三従説を主とする様で、それは「法華経」の提婆品に見えてゐることも亦已に申し置いたが、マウ少し丁寧に説明すると、実は其処には只五障の事だけで三従はない。五障とは梵天・帝釈・魔王・転輸聖王並に仏身には、女子は作ることが出来ない。それは女身は垢穢にして法器にあらざるが故なりとしてある様だ。三従の方は「四十華厳経」の方にある。それも理由が却々面白い。曰く、「処女家に居るときは父母に従ふ。笄年にして嫡事すれば又夫に従ふ。夫亡ぶときは、子に従ひ、嫌疑を護る」と。嫌疑を護るの一句、如何にも性慾本位を示して余りあらう。護るとは受けない様に用心することである。斯くて五障三従は先づ「智度論」などが 本として好からう。「超日明三眛経」には三隔五碍と書き、「騰鴛経宝窟」とかには、又五礙三監とあるさうなが、監の字は右の護の字と同様で、只管間違のない様にと見張りをするところに注意されたい。

但し「法華経」と同時同味と謂はれてゐる「涅槃経」の方になると、人分趣きが異なり、稍稍形而而学的に成つて来て居る様に見受けられる。即も外儀には固より五障三従はあるにしても若し衆生銘々に内省して、其処に自身に如来性のあることを知つたならば、世間では女子だと呼び習はすにしても、実は是れ一個の男子であると云ふのである。是れやがて所謂変成男子てふ仏教特別の思想の根柢をなすもので、此の思想は、右の提婆品に於て、八歳の龍女が忿然の間に男子に変化したことがあり、又「無量寿経」には、誰人も承知の通り、弥陀の四十八顫中の第三十五番目に、変成男子の願がある「薬師経」にも亦転女成男の願があるとも聞いた。いづれにしても依然男尊女卑の旧套を脱せず、却つて密教の早く女身成仏を許すには劣つてゐる。併し親鸞には固より変成男子などの事は左迄喋々してゐないらしい。それは後年蓮如に至つて格別高調されたのである。

然り而して又這の女人成仏と関連して、其処に「転女身経」といふのがある。これは曾て釈尊が無垢光女の為に説いたもので、一法より増して十法に至つて居り、兼ねて女身種々の苦悩を明にして、転女成男の途を指示したものではあるが、その究竟の所詮は、一切の諸法皆是れ悉く幻のごときものである。それは強ひて分別するから来るので、若し第一義諦に由つてすれば、素より男女の別はない。性別畢竟無相と悟了すベしと云ふ様に覚える。然り是の如きは確に阿含部の根本思想であらう。然かも親鸞は固より決して、そんな哲学的思弁に耽つて、文字や思想の遊戯三眛を事とする者ではない。親鸞は熕悩熾盛を自覚しつゝ、それは人間味の存するところとして、敢て之れを排去しやうとはせず、只だ弥陀大悲の本願に縋りつゝ、家庭に於て、妻あり子あり、貧窮な惨めな生活を営んでゐたところに、所謂非僧非俗の愚禿たる人間親鸞はあるのだとすると、それは又実は遙に釈尊よりも貴いところがある様に思はれる。今日の 親鸞流行の最重なる一理由は此処にあると謂ふのである。否由来真宗法門の独り益々繁昌する所以は、実は全く此に胚胎してゐるのだと謂へる。

即ち少くも現代に目ざめた婦人は、釈迦より親鸞へ行かなければならぬ筈だと考へる。安井広度師の近著「阿含篇」には、雑阿含に拠つて「愛か道か」と題する一節がある。曰く、

長閑な春の日、ある男、河岸の樹蔭で、恋女房に琴を弾かせて、うれしさうに歌ふ。

面白や

花は咲ひ

鳥は舞ふ

楊柳緑にして

流れ涼しく

琴声和して

心地よや

愛に燃ゆる

今日の遊びぞ楽しけれ

その近くに一人の修行者がゐた。彼はこの歌を聞いて黙つてをれなかつた。

面白や

戒を持ち

仏を念ふ

空無相無願の

三解脱に浴して

道そなはり

涼気身に適ふ

法を念ふ

今日の我身ぞ楽しけれ

かう小声に唱へて、彼は沈黙したのであると。

自分は実に此の修行者を気の毒に思ふのである。現代宗教の立場としては、どうしても彼の相恋の男女弾琴の人間味津々たる方に与みせざるを得なからう。