一(我が日本国の人々は、一面には随分お国自慢も強い様だが)

我が日本国の人々は、一面には随分お国自慢も強い様だが、又一面には兎角自ら嘲つて悪口を言ふ傾きがある。特に日本人は一体に気が変り易いと云ふはその顕著なる一例で、而して現に数年前は、労働問題が非常に盛であつたのか、昨今は早すつかり忘却し去つた様で、その外 に性慾の問題が又非常に盛に論ぜられて居る。労働問題と性慾問題、二者何の因縁もなく、丸つ切り走馬燈の様に移り変つて行くのは、阿呆らしいと云ふのである。成る程さう云へはさうも見られやう。併し自分としては少くも這の労働問題と性慾問題との場合では、必ずしもさうとは考へない。否その実は寧ろ斯う成り行くのが当然で、只一時に一事しか出来ないのは、専 心一意と賞められもするが、矢張り頭脳が小さいからだと想ふと、少々閉口する。

何はともあれ自分は所謂文化生活の向上改善を計らうといふには、右の労働問題と性慾問題とが最大急務であると断言したい。蓋し所謂文化生活の向上改善とは、畢竟は人間として層一層人間らしき生活を営ましめんとするに外あるまい。然り而してその人間らしき生活と謂ふは固より決して只智的とか道徳的とか霊的とか謂ふ事ではムらね。文化を以て単に智的道徳的霊 的、或は約めて唯心的理想的の事のみの様に看做さうとするのは、偏狭にして固陋なる学究輩の囈語に過ぎない。実際はそれよりも尚ほ一層根本的の生活がある、それは生命そのものゝ維持と種族そのものゝ維持とである。前者は衣食住並に光熱の供給充足に待つ所が多いが、併し只衣あり食あり住所あり、光も熱もあるといふ丈けでは足らない。此等の五つのものが皆成るベく十分であり立派であり軽便であり愉快であると共に、尚はその外にも衛生医療修養娯楽と種々のものが入用である。それが一言すれば文化生活であつて、禽獣類の自然生活と自ら別なる所以である。禽獣は自然の侭に生活して、他の為すに任せ、敢て自らその向上改善を計る様に見えないが、吾儕人間はさうでなく、各自成るベく好き様にと奮勵努力して止まない筈である。其処に労働問題があるので、所謂知足安分は固より決して真に労働問題の解決ではあるまい。

性慾問題とても亦それである。蓋し所謂種族の維持なり繁殖なりは、男女相婚媾すれば則も自ら出来るには違ひないが、それならば下等動物にも亦素より夙に行はれて居る。然かもそれを成るベく完全にし具足したものにすると共に浄化し美化し、そのもの固有の特色を層一層発揮する所に、文化生活の向上進歩はあると謂へる。昔から衣食足つて礼節を知ると曰つて居る のは本当で、礼節は固より文化生活の華には相違ないが、その礼節の中では、冠婚葬祭は四大礼で、而して冠婚は別して這の性慾と最も密に関連して居る所に屹度注意しなければならぬ。