四(右論ずる所で以て、性慾は強者が他を制御し屈伏)

右論ずる所で以て、性慾は強者が他を制御し屈伏せしめ放射せんとする激情であり、而してその場合又弱者の方では降服し服従するの態度を取るから、激情とは謂へない様だが、其処にも亦一種放射に似たものがあるので、矢張り激情と成るのであると云ふことにする。強者は無論男性であり、弱者は女性であるから、やがて真に性慾たるものは、実は男子の方が主で、或 は男子の専有と謂つても妨げない程であり、女子は一般に性慾は冷淡であつて、只強者たる男子に依頼しすがり附いて其の保庇を仰ぎ、やがて子を挙ぐるに及んで、母として独得の愛情を逞しくするものだと謂はゞ謂へやう。是れは全然男女分業の観方で、昔の所謂夫唱婦随はやがて此に確固たる根柢を置くことが出来る。

併し更に進んで広く実際を看渡すと、固よりどうもさう男女刊然と分業してゐるとは思はれない。否世間には往々男子で女の様なのもあれば、又女子で男の様なのも随分ある。尚且つ時と場所とに由つては、性格自ら一変して、後家を立て通し、かよわき女の身を以て、男まさりに一家の経営、業務の拡張、さては子女の教養までも見事に遣つて除ける者も少くない。否さ なくとも、概して男女共に老後は自ら性格の一変する事は、敢て珍らしくない。此の男性的女子、女性的男子の存在に就いては、オツト・ワイニンガーが逸早く注意を払ひ、一冊の頗る奇抜なる名著を出し、我が国に於ても文学士の片山孤村君が、明治四十年頃に翻訳して一時広く行はれたので、人皆周知の事であらうと信ずるが、前掲のケニーレー女史亦此れに就いては、科学的説明を試み得たりと称し、所謂一体両性説を立てゝ頻りに喋々として居る。蓋し女史の説は生物学上からは、近頃流行のメンデリズムに負ふ所が多い様だが、然かも女史は凡そ男女雌雄陰陽両性の区別は、固より決して生物に於て初めて見るものではなく、生物以前天地開闢の初より存するもので、天文物理の上では引力に求心遠心の二面あるが之れに当ると云つてゐる。陰電陽電は又それであるとする。然り而して女史は吾儕人間の一身は四肢は勿論、躯幹も亦左右の一対から成つてゐるもので、それは脳髄を始め内臓臓器にも対偶のものが多い。其の右方にあるものが男性即ち陽性で、左方にあるものが陰性である。只脳髄だけは神経の交又からして、左半球は身体の右方に応じて指導的であり、右半球が身体の左方に応じて訓節的である。斯くて人は誰でも沙して左右両半身が同様に発達し同様に活動する者はない。執れか一方の側がより多く発達して居るが、若し男子にして其の左側が多く発達して居る時は、それは何となく女性的であり、又女子にして右側が多く発達して居る時は、それは何となく男性的である。性格が一変する時はそれぞれ左右の面貌や躯幹四肢の調子までが変はると云つて居る、却々面白い。