勿論此の所謂一体両性の考は、必ずしもケニーレー女史の創唱とは謂はれまい。是れは欧米諸瞹で最近に学者研究家の注意を惹いたところで、別して左利と低能や癲癇の関係、左利と吃音との関係に於ける調査から、誰言ふとなく左右の区別が層一層高調されつゝあることは争はれない。我が国にも両三年来色々新説が紹介されて居る。併しそれにしても右のケニーレー女史のは、相応に詳密なものである上に、女史がこれを根拠として、凡そ男女は素より其の性を異にし其の徳を別にし、而かも両両相補うて、其処に始めて完全円満の人生々活が営まれ、文明開化の進歩があるので、男子は戦闘的であり、進取的であり、物資を生産し供給し、家族を保庇すると共に破壊的たることは兔れ難いが、女子は之れに反して、平和的であり、保存的で あり、物資を利用し融通し、一家を治めて子女を分娩し哺育し教養し、徹頭徹尾頗る構成的であつて、古今の文物は女子の此の構成性に由つて成る所が多い。文明が爛熟し漸く頽廃し初めると、其処に漸く女子にして女子らしからざるものが出来、而かもそれは両極端に奔る様で、之れを古代の希臘や羅馬に徴しても直ぐ分かる。希臘も最初は女子は全然家内に止つて妻とし 母としてその本分を全くし、従つて女子の教育も専ら女巧に限られて居た様だが、べリクルスの黄金時代には、幾多の名煖美姫が輩出して、而して希臘はやがて衰微して仕舞つた。羅馬も亦末になると婦女子が其の本分を失却して、或る者は青い靴下即ち青鞜派の女論客と成り、或る者はおしやらくの遊蕩派と成つた。今日米国辺で、婦人に二種あり、一は大学型で、一は社 交型であると云ふが、執れも固より決して女子の本分でない。
特に女子の婦徳を蔑視し、我侭放埒のものに至つては、箸にも棒にも掛らない。男子の放蕩なものは改悛の見込があり、一旦翻然として悟る所があらば、見違へる程に引締る様だが、女子の淫奔なものに至つては到底改善は望み難い。男子は多情な様で、一夫一妻を厳守せず、数多の婦女に接することは珍らしくないが、その割に後害は少い。曰はゞ執念深くなく、彼も此も一時的であるらしいが、それは元来が制御的征服的な所から来て居やう。然るに女子の方はさうは行かない。従来の道徳が貞操を厳に守らしめ、一夫一妻を破ることを許さないから好い様なものゝ、若しその夫とかしづく男の外に、あだし男の味を一度でも甞め知つたならば、それこそ大変、移り気にして新物を好み、復決して心から謹慎するものではないと。即ち男女同権とか、交際往来の自由とかは、折角女子の美徳を毀損する事頗る大なもので、人生々活の幸福を害すること夥しからう。貞女両夫に見えずで、再婚再嫁も決して賛成出来ないと、旧慣保存の大々的議論を主張して居る。それが自分のケニーレー女史は暗にエレン・ケー女史の向ふを張るのだと評する所以である。