乃ち自分は近頃文化と謂ふ事の頓に喧伝せらるゝを看取して、恰好の機会とし、右の所謂文化運動と仏教とを相提携せしめて、以て民衆弱者の解放向上より、社会組織の匡済改造に努め且又文化生活の促進を協賛して、禁欲圧離の陋習を一洗し、真に文明開化の平和的楽土を斯土の上に実現する様にしやうとした。それは勢、物質的方面にも亦重きを置く様に成るのは当然で、たゞ一心三観の、一念三千の、諸法実相の、即事而真のなど云ふ様な、所粛転迷開悟の心霊的空談は次となる。勿論自分とても精神的修養を無用とはしない。心霊的談理も却々面白いとは承知して居る。併しそれは到底中世的であつて、近世的ではなく、由来仏教は寧ろそれに中毒した気味があると看た。否最近哲学の一興あり、新唯心論到る処に盛に唱道せられるにしても、それは余程用心しないと、兎角人は我田引水の癖が強いから、知らず知らず復再び昔日の観念門流の弊実に陥るだらうと心配した。而してそれが不幸杞憂に了らずして、早く古曩新酒を盛るの瞞着手段を弄せんとする者が、往々にあるのは浩嘆に堪へない。言ふこころは所謂文化をも、唯心哲学者一流の文化主義の方に偏して、只管人間の霊化を萵調せんとする者があるからである。例へば文化とは何ぞ、又化価値を実現し亨有受用する事なり。文化価値とは何ぞ、曰はく真、曰はく善、曰はく美、而かも之一括して聖と看るべくば、すなはちその表現はやがて宗教是れに当るなど云ふの類である。
此の文化価値の説明は、自分も亦固より一応は承知する。宗教もさう観て行つたならば、却却面白い様に考へられる。併しそれよりも大切な問題は、件の真善美は果して何者を指すかと云ふ事にある。而して自分はプラグマチックな立場に於て、三者執も生命といふ事を離して看る事は許し難い。否這の生命も亦如実の心身活存の生命であって、只霊的生活の何のと遁げられては困る。従つて人間情意の迷執は固より決して軽視しやうとは思はず、寧ろ本能衝動の溌剌たる所に真生命はありと看たい。迷って居る間が活きて居るので、悟り切った時はやがて死んだのである。涅槃の入滅のと、色々名は立派に附けて見ても、崩と曰ひ、●(歹と且)と曰ひ、薨と曰ひ、卒と曰ふ、逝去も死去も、皆共に只是れ死亡に外ならないことを思ふが好い。
過日も何かの小雑誌の広告に、人間一代喫煙すれば、少くも金三千円の大損に成る。須もく之れに代ふるに何とか云ふ薬品の管を以てせよと云ふ広告が見えてゐた。併し煙癖の衛生上に於ける利害は暫く別として、そんな事で果して我慢が出来るかどうか。又最近の或る新聞紙には、人間一代の晩酌費を、金一万二千円に上ると書いて戒めてあつたが、飲酒癖がそんな事で止む筈はない。蓋し煙酒は固是れ奢侈品ではあらうが、或る人には又一種の准必要品である事は、米国禁酒令後の実況を見ても知れる。当局が民力涵養に先づ減食節米を言ふの愚は、識者の嘲笑を免れなかった様だ。